「無知の知」とは?大学教授がソクラテス哲学をわかりやすく解説【四聖を紐解く④】

「無知の知」あるいは「不知の自覚」で知られる古代ギリシアの哲学者、ソクラテス。哲学の分野には、「人はどう生きるべきなのか」、「正しい行いとはどういったものか」といった疑問について研究する“倫理学”という学問があります。ソクラテスはこの倫理学の道を切り拓いた人物です。

ソクラテスは、哲学の歴史を語るうえで避けては通れない人物といっても過言ではありません。哲学を「諸学の基礎」と位置づけ、重要視していた東洋大学の創立者・井上円了は、哲学の祖であるソクラテスを東洋大学のシンボル“四聖”(しせい)のひとりとして定めています。

議論を通じて市民をより善くしようと望んでいたソクラテスは、著作を残すことはありませんでした。そのため、現代に生きる私たちがソクラテスの考えや人物像を読み解くには、弟子たちが残した著作物をもとにするしかありません。そして弟子たちが描くソクラテスの姿はそれぞれ異なっているため、本当のソクラテスの姿を把握することは難しいといわれています。これは一般的に「ソクラテス問題」と呼ばれており、長年多くの人々によって研究が行われています。

今回は、そのような哲学史の中の重要人物、ソクラテスについて解説します。

[監修:東洋大学文学部哲学科 准教授 松浦和也]

ソクラテスの晩年は波乱に満ちていた


▲東洋大学の全キャンパスに設置されている四聖のレリーフ

ソクラテスは紀元前469年頃、アテナイ(ギリシアの首都・アテネの古名)にて誕生します。彫刻家(石材加工者とも)の父・ソフロニスコスと助産士の母・ファイナレテに育てられました。

ソクラテスが40歳になろうとしていた頃、ギリシアの主導権をめぐって戦争(ペロポネソス戦争)が勃発します。ソクラテスは兵士として、3度にわたって従軍したことは、彼に関する数少ない確実な経歴のひとつです。

ペロポネソス同盟に敗れた戦争後のアテナイを支配したのは、新スパルタ派の30人の人物たちであり、「三十人政権」と呼ばれています。三十人政権は貴族や富裕層、異なる意見を持つ勢力を粛清、財産を奪うといった恐怖政治を行いました。やがて三十人政権と民主政支持勢力との間で内戦が勃発した後、アテナイは民主政へと回帰します。

ソクラテスはこの三十人政権に対しては消極的だったようですが、その指導者であったクリティアスがソクラテスの弟子であったことは、アテナイ市民が彼に対し不信感を持つ原因のひとつであったようです。そしてついにソクラテスが70歳になった頃、「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を崇め、若者を堕落させた」といった罪状で告発されてしまうのです。

プラトンが残した『ソクラテスの弁明』によれば、ソクラテスは裁判の場で罪状を否認するも、陪審員たちを説得することはできませんでした。そして、有罪が決まり、量刑が審査されるとき、ソクラテスは普通の被告人たちがしていたように陪審員に命乞いをせずに、アテナイにまで行ってきたことへの見返りとして、迎賓館での食事を「求刑」しました。しかし、その態度が陪審員たちの怒りを買い、最終的に死刑の審判が下されます。

その後、牢獄に捕らえられたソクラテスは、友人であるクリトンによってアテナイからの逃亡を提案されるも、その提案をソクラテスは拒否し、最終的にソクラテスは潔く自ら毒を飲み、死を迎えたと言われています。

ここで皆さんは、「命が助かるかもしれなかったのに、なぜ友人からの提案を受け入れなかったのか?」と思うかもしれません。しかし、「ただ生きる」ことではなく、「善く生きる」ことを信条としていたソクラテスだったからこそ、死を受け入れたといえます。ソクラテスにとって、不正に生きながらえるよりも、正義に則って生きること、そして死ぬことが価値あることだったのです。

ソクラテスの代名詞、“不知の自覚”

ソクラテスが問答法という手法を取るようになった発端は、「ソクラテスの神託事件」がきっかけでした。

ソクラテスがアテナイ市民の不評を買ったもうひとつの理由は、ソクラテスがアテナイの有力者を相手にした活動にもあったようです。

当時のギリシア人には、問題に直面した際にアテナイ北西のデルフォイ(デルフィ)にある“神託所”へ出かける習慣がありました。ある日、ソクラテスの友人であるカイレポンが神託所で「ソクラテスよりも賢い者はいるのでしょうか」と尋ねたところ、巫女は「いかなるものもソクラテスより賢くはない」と答えました。自分自身をそのように見なしたことはなかったソクラテスは神託の真意をたしかめようと、政治家、詩人、職人など知恵を有していると見なされている人々を訪ね歩き、問答を通じて自分よりも賢い者を見つけ出そうとしました。しかし、その結果、ソクラテスは、ある事実に気がつきます。

それは、

①知識を有しているとされる彼らは、自分自身に知恵があるとは思ってはいても、実際には知恵があるわけではないこと。実際は美しく、かつ立派なものを知っていると思い込んでいるに過ぎないこと
②ソクラテスは自分が知らないことについて「それを知っている」とは思っていない限り、彼らより知恵があること

でした。ソクラテスは神託の意味を、知恵に関しては自分にはほとんど価値がないことを自覚した者が人間たちの中で最も知恵ある者であるということだと解釈します。これが、ソクラテスの考え方の中でもよく知られている “不知の自覚” です。

賛否両論だったソクラテスの“問答”

ソクラテスはアテナイの有力者たちと問答する際、相手の主張から相手が認めないことを導き出すことによって、相手の主張を論駁していきました。このようにしたのは、その有力者が知らない事柄を実際に知らないと自覚するように促すためであり、「有力者のプライドを傷つけてやろう」という悪意があったわけではありません。しかし、ソクラテスの問答を受けた有力者たちは、おそらくソクラテスによって公衆の面前で恥をかかされた、と思ったことでしょう。

ただし、有力者が言い負かされているような様子を見た若者たちは次第にソクラテスを支持するようになり、ソクラテスのするように有力者を論駁するような者もあらわれたようです。罪状の中の「若者を堕落させる」とは、このことを指しています。

しかし、若者たちは本当に堕落したと言えるのでしょうか?

人間になくてはならない“魂の配慮”

ソクラテスは、富や名誉に取り憑かれる市民を非難していました。

皆さんの中にも「お金持ちになりたい」と思っている方は少なくないのではないでしょうか。もしかしたら、それは「お金があれば、自分がやりたいことが何でもできる」といった願望が含まれているのかもしれません。

このような願望を抱くのは、必ずしも悪いことではありません。しかし、やりたいことを何でもできれば幸せになれるのでしょうか。お金があるからと言って、食べたいものを食べ、飲みたいものを飲んでいれば、いつかは体を壊してしまうのではないでしょうか。つまり、お金をたくさん持つことは、害悪になることもありうるのです。

お金を有益に使うためには、何の目的で、どうやって使うかが問われることになります。この問いに面したとき、はじめて「魂の配慮」が求められてくるのです。お金が善いものだと言えるのは、その目的や使い道、タイミング等々を決める魂が優れているとき、言い換えれば、魂が魂の卓越性(アレテー)を有しているときなのです。それゆえ、お金や財産に配慮するよりも、魂が節度や知恵を身につけられるように、つまり、魂がより善くなるように配慮することが、人間として生きるためには求められてくるのです。

より善く生きるために必要なソクラテスの考え

人間が社会の中で生きるために欠かせない倫理的事柄に反省を促したソクラテスの存在は、後の人々にさまざまな課題を与えています。

善く生きるために、魂に配慮し、魂をより善くしなければならないとしても、その善さとはどのようなものなのでしょうか。それは、どうやって探し求めればよいのでしょうか。

そのためには、ソクラテスはなぜ死んだのかという謎を真摯に考えてみたり、善い生き方とはどのようなものかを周囲の人たちとともに討論してみたりすることが必要かもしれません。そして、その中から、きっと皆さんは今まで気づかなかった発想や価値を見出すことができることでしょう。ソクラテスの考えについて向き合うことは、まさに哲学することに他ならないはずです。

 
<監修者プロフィール>
松浦 和也(まつうら かずや)
東洋大学 文学部 哲学科 准教授
博士(哲学)。ギリシア哲学を専門とする一方で、JST/RISTEX/HITE「自律機械と市民をつなぐ責任概念の策定」の研究代表者を務めるなど、哲学的知見をこれからの社会に還元するための研究活動を行う。著書に『アリストテレスの時空論』(単著・知泉書館)、『世界哲学史1―古代I 知恵から愛知へ―』(共著・筑摩書房)など。

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