INDEX

  1. 恩師の教え。「お前の拳は、未来を切り拓くチャレンジに使え」
  2. 継続は力。続けられないやつに、絶対に成功はない
  3. 2019年12月の決戦へ。周囲の反応をエネルギーに

INTERVIEWEE

村田 諒太

MURATA Ryota

2008年 東洋大学 経営学部 経営学科 卒業

1986年生まれ、奈良県出身。中学時代にボクシングを始め、高校では主要大会すべてのタイトルを獲得する5冠を達成。東洋大学に進学し、ボクシング部に所属。2008年北京オリンピックを目指すが予選で敗退。卒業後、東洋大学に職員として勤務。ボクシング部のコーチを務めながら2012年ロンドンオリンピックミドル級日本代表として出場し、金メダルを獲得した。その後、プロに転向。2017年、2度目の世界挑戦でWBA世界ミドル級チャンピオンに輝く。2018年2度目の防衛戦に敗北し王座陥落したが、2019年にふたたび王座を奪還。2019年12月23日、カナダ出身のスティーブン・バトラー選手との防衛戦に挑む。

■オフィシャルサイト https://murata-ryota.com/

恩師の教え。「お前の拳は、未来を切り拓くチャレンジに使え」



――ボクシングをはじめたきっかけは?
「強くなりたかったから。厳密にいえば、『強い』と言われたかったからですね。中学校のときに先輩と喧嘩して勝ったのに、次の日、学校に行くと僕が負けたことになっていた。ふざけんなと思ったけれど、噂話を相手に戦ってもしょうがないと思って、どうしたら村田が一番強いとわからせられるかを考えたら、たどりついたのがボクシングでした。だから動機はとても不純で、ほめられたものではないですね(笑)。」

――強い自分を世に知らしめる。その思考は、ボクサーにとってひとつの真なのではないでしょうか?
「たしかに根底にはありますが、僕の場合、少し変わってきました。そのきっかけとなったのは、高校時代、ボクシング部の監督でもあった武元前川先生(故人)と出会えたこと。当時、新入生を勧誘する部活紹介のイベントで、ボクシング部員が『僕に勝てると思う人は手を挙げてください』と挨拶するのが恒例となっていました。もちろん、手を挙げるのはサクラで最初から準備しておくのですが、高校3年生でキャプテンだった僕は、めずらしくその場で手を挙げた(サクラではない)体格の良い新入生を選んだ。『僕に勝てると思う人』と言ったのは、途中入部でボクシングを始めて1カ月くらいの部員。結果は、ボクシング部の敗北。後から聞いて知ったのですが、その新入生は空手の有段者だったんです。このままではボクシング部が弱いと思われてしまう……と焦って、『じゃあ次は、僕とやろう』と試合を組んだら、瞬間的につい相手のボディにパンチが一発はいってしまって……。

その後、武元先生に呼び出されました。当然、“ものすごい怒られるだろうな、もしかしたら退学になるんじゃないか”と思っていたけれど、武元先生は怒らなかった。むしろやさしく諭してくれました。『お前の拳は他の人と違う、そんなことに使ってはダメだ』と。当時は怒られなくてラッキーとしか思っていなかったけれど、その言葉がずっと頭から離れなかったんです。

今になって思えば、武元先生は『ボクシングは、弱いとか強いとか、自分の力を示すためのものではない。お前の拳は未来を切り拓くチャレンジをするために使え』ということを言いたかったのだと思います。その真意を理解できたのは、もう何年もあと。ロンドンオリンピックで金メダルを獲った頃でした。たくさんの人に祝福されて、それまでの世界が一変していろいろな可能性が生まれた。“武元先生はこのことを言いたかったんだ”と。」
    

継続は力。続けられないやつに、絶対に成功はない



――オリンピックを目指すようになったのは、いつ頃からですか?
「これも高校時代、武元先生がオリンピックの試合のビデオを見せてくれるようになってからです。武元先生の夢は、オリンピック選手を育てること。それを聞いたとき、まったく漠然とした思いですがその夢を叶えてあげたいと思うようになりました。

それで高校3年生のとき2004年のアテネ・オリンピックの予選に出場しました。全日本選手権で優勝したら日本代表としてアジア予選への出場権が得られ、そこで勝ったらオリンピックに出場できるのですが、僕は全日本選手権の決勝で負けてしまいました。でも、その試合で日本代表というものをすごく意識するようになった。それまでオリンピックはただおぼろげなものでしたが、全日本の決勝まで戦えたことでオリンピックが現実的なものとしてとらえられるようになったんです。」

――オリンピックに出場して世界一になれると。
「いや、そこまでは思っていなかったです。オリンピックに出場して金メダルを獲りたいと言ってはいたけれど、心の中では世界一になれるとは思っていませんでした。日本のミドル級のレベルは、海外のレベルとはまったく違うと昔から言われていて自分自身もそう思っていました。なれるわけがないと。」

――でも、その8年後にオリンピックで金メダルを獲得し、世界一に輝きました。『世界一になれるわけがない』から『世界一になる』と、自信を持てるようになったことはあったのでしょうか?
「本当に金メダルを獲るまで、世界一になれるとは思わなかったですね。

ハードな練習をして、がんばったからといって結果が出るかといえばそうではない。もちろん、ハードな練習をしないと勝てないし、結果は出ません。でも逆に結果が出なかったときはそのハードな練習の過程が全部否定された気持ちになってしまって、自信をなくしてしまうものです。ボクサーは試合までの過程が本当に大変なので、努力と結果が紐づかないと、気持ちがついていかなくなる。

2006年のアジア大会に出たときには、しんどい練習をがんばりました。でも、一回戦でアテネ・オリンピックの金メダリストと対戦して、ぼこぼこにされた。このとき、心が折れましたね。それまでの人生で一番がんばったのに、結果がでなくて。そこからなかなか立ち直れず、練習にも熱が入らないまま翌2008年北京オリンピックの予選を迎えましたが、十分な練習をしていなかったことからあっさりと予選で敗退しました。世界一どころか、オリンピック出場さえできないと思って、一度、ボクシングをやめたんです。」
   


――そのどん底からどのように復活したのでしょうか?
「これは、本当に運、めぐり合わせだと思います。2008年に東洋大学を卒業して同大学の職員として働いていたときに、ボクシング部の部員が問題を起こしてしまって、活動自粛となったことがありました。僕自身、ボクシング部のコーチを務めていたこともあって、日ごろから一生懸命にがんばっていた他の学生のことを考えたらそのことが悔しくて仕方なかった。そして、“どうすれば東洋大学の学生ががんばっていることを世に示すことができるのか”を考えるようになりました。北京オリンピック以降、引退はしたけれどずっと煮えきらない思いを抱えていたこともあり、もう一度リングに復帰することを決意しました。」

――後輩のため。そうした強い思いも背負いながら、ふたたびオリンピックを目指すことになったのですね。
「よく使われる言葉ですが、本当に神様がくれたきっかけ、運だと思っています。もちろん自分のためというのはありますが、きっかけは東洋大学のため。その思いはその後の活動に強い意志を持たせてくれたのはたしかです。大学職員の仕事をしながら、仕事が終わってからナショナルトレーニングセンターに通ってサンドバックを相手に練習。帰ったら夜の10時11時で疲れ切って寝る。朝起きたらまた大学へ行って働いて練習しての繰り返し。練習内容としては決していいものではなかったけれど、最大限の努力をしました。その結果、2011年の世界選手権で2連覇していた選手に勝った。最終的には決勝で負けて銀メダルに終わったけれど、努力と結果が結びついて、次につながる試合ができました。そこで負けていたら、完全にボクシングをやめていたと思います。

自信を持てるようになるのは、努力に対して結果がついてきたとき。だから成功体験は絶対に必要で、この世界選手権でなんとかオリンピックにつながる結果を出せたことは、僕のボクシング人生をガラッと変えたと思っています。」

――やはり勝負には運も必要なのでしょうか?
「必要だと思います。僕の好きな考え方に、カエルが柳の葉に何回も何回もジャンプしても届かなくて、そこに偶然、風が吹いて柳の葉がしなって届いた、人生そんなもんだという平安時代の能書家、小野道風(おの の みちかぜ/とうふう)の話があります。たまたま風が吹いてうまく乗れたと。勝負の世界も同じことが言えます。少なからず勝負は時の運もある。

でもこの風が吹くという運をつかむには、続けていることが大事になってくる。努力したからと言って報われるわけではない。でも努力しないと報われない。それを続けて初めて運をつかむことができるからです。」

――努力し続けられることは、才能だとも言われています。
「才能というよりは、シンプルにやるかやらないかだと僕は思っています。プロになって6年間、いろいろな選手を見てきましたが、才能のある選手は山ほどいる。けれど、その中で成功しているのはほんのひと握り。才能があるのに成功していない選手に共通しているのは、続けていないことなんです。続けられないやつに、絶対に成功はない。

自分自身、ささやかにほめられる部分といえば、途中、何度か逃げ出したりしながらもしつこくボクシングを続けてきたこと。そのおかげで、オリンピックの金メダルも獲れたし、世界チャンピオンにもなれたのだと思っています。」
    

2019年12月の決戦へ。周囲の反応をエネルギーに


画像:2019年7月12日/WBA世界ミドル級タイトルマッチ ロブ・ブラント戦/NAOKI FUKUDA

――2017年にWBA世界ミドル級王座をかけたタイトルマッチで勝利し、世界チャンピオンになりました。その後、1度は防衛に成功しましたが2度目の防衛戦でロブ・ブラント選手に判定負け。その約1年後、敗れたロブ・ブラント選手と再戦し、今度は2ラウンドTKOで世界王座を奪還しました。この試合のあと、村田さんは「今回は完璧に近い練習、準備ができて結果もついてきて、最高に充実感があって、今後、ボクシングを続けるか一度、ゆっくり考えたい」という趣旨のコメントを残されました。おそらく熟考した結果、続ける決断をされたと思いますが、どのような経緯、気持ちの変化があったのでしょうか?
「自分なりにボクシングを続ける理由、解釈があるのですが、その解釈を大事にすればするほど、自分の存在が嘘になる、ということをあの試合の後、いろいろな取材を受ける中で葛藤するようになりました。

ボクサーには、自分が特別な存在なんだ、強い人間なんだということを人にわかってもらいたいという欲求が強い人が多い。僕も根源にはそういう気持ちがあります。だけど、大きな社会の中で生きる僕らの存在は、他者との関わりの中で成り立っている。その関係性に着目した場合、自分がどう思われたいかを求める思考性はとても自己中心的で、ちょっと醜いなとずっと感じていたんです。でも、注目するべきなのは僕の心の中ではなくて、僕が周囲に与えられる効果なのではないかと。その考えが明確になったときに、もう一度、戦おうという決断をしました。」

――周囲に与えられる効果とは?
「シンプルに僕が勝てば、喜んでくれる人がいるということ。『試合見て元気になった』『とても感動した』とか、王座に返り咲いた自分の喜びよりも、周囲が喜んでいる景色がいつもよりすごく印象的に感じられたんです。つまり、僕はひとつの共同体の中でそういう効果、ある種の社会貢献ができる人間なんだと、あらためて認識する試合でもありました。」

――周囲の反応が、村田さんにとってのエネルギーにもなる。
「そう。根源的な醜い自分を否定せず認めながら、自分ができる効果に着目しよう。そこに自分のモチベーションを重ねたら自ずと答えも出てきたという感じです。でも結果的にそう考えることは自分のためでもある。

最近、若い子を中心に、承認欲求が強すぎる結果、ものごとが長続きしない人が多くなっているのかなと感じることがあります。

僕にとって、ボクシングは唯一、自分が輝ける居場所。だから大学のリーグ戦も、オリンピックの決勝も、世界タイトルマッチも、ずっと変わらない情熱を持って一生懸命に取り組んできました。この居場所からどのように社会に貢献し、他者との関係性を築いていけばいいんだろうという思考を少しずつ大きくするようにしています。それぞれの役割や持ち場があって、そこで力を発揮すればいい。まず自分に何ができるかを考えてみることがとても重要だと思っています。考えたうえでやってみないことには何も変わらない。僕の場合、それがボクサーを続けることで、もう一度、タイトルマッチのリングに立つことでした。」
   


――年末に迎えるWBA世界ミドル級王座防衛戦は、周囲への影響や効果を大切に挑む。そういう意味では、新しい境地で迎える大一番になりそうですね。約2カ月後にタイトルマッチを控えた現在の心境を教えてください。
「まさに気持ちをこれからつくっていく段階ですね。前回の試合の後、少し考えて結論として現役を続けると決めたときも、実はまだ気持ちはふわっとした状態でした。リマッチが決まって発表もされて、相手もわかって研究もはじめている。これからスパーリングに入っていく中で少しずつ気持ちを固めていく段階なので、今はまだ緊張もモチベーションも高まっている状態ではないです。

でもどういう気持ちをつくっていくかというのは、これからの時間で体をつくりあげ、相手を分析しながら戦略を練っていくことと同様、とても重要な作業になります。プロとしてやらなければいけないことをやっていく。でも、最後はやっぱり気持ちが入っていないと勝てません。本来は無理につくらなくても、自然に気持ちはつくられていくものですが、それでもやはり不安はあります。12月23日にどういう気持ちでその日を迎えているのか、心・技・体、充実した状態でリングに上がれるのか。

試合が決まってからやるべきこと、やらなければいけないことは、今も昔もあまり大きくは変わりません。でも、いつもこの時期は不安です。不安だからがんばるし、その不安をかき消すのは練習しかない。練習の内容が良ければ不安は減っていき、自信を持って最終的に試合に挑める。あとはそこに気持ちをどれだけこめて、どういう自分を作り上げていくのか。その繰り返しになります。

続けてきたことで新しく見えてくるものもあります。ボクシングは、8割、いやもっと9割がしんどいけれど、数少ない楽しみのひとつは、そうやって自分をつくりあげていって試合を迎え、終わった後に見る景色。良くも悪くも、そこで新しい自分に出会える。そうした経験が多いほど、自分の人生の可能性は広がり、色がついていきます。適当にやっていれば色はついていかない。今できる経験を一生懸命することが、また新しい色のある未来をつくっていくのだと思います。」  
   

村田諒太選手 WBA世界ミドル級タイトルマッチ
■試合日時:2019年12月23日(月)  開場:15:30 第1試合開始:16:30
■会場:横浜アリーナ(神奈川県)
■対戦相手:スティーブン・バトラー選手(カナダ) 
■チケット:ローソンチケットにて発売中

     

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