INDEX

  1. 「デザイン思考」とは?
  2. デザイン思考を身につけるトレーニング
  3. 疑似体験がデザインの質を左右する。デザイン思考の活用例
  4. 「デザイン思考」を身につけるために大切なこと

INTERVIEWEE

柏樹 良

KASHIWAGI Ryo

 東洋大学 ライフデザイン学部 人間環境デザイン学科 准教授
学士(造形)。専門分野はプロダクトデザイン、ファニチャーデザイン、プロジェクトマネジメント。ソニー株式会社、株式会社アルフレックスジャパンで工業製品、ならびに家具・インテリアのデザインを経験。2000年グッドデザイン金賞受賞、2011年にreddot design award: concept design 2011受賞。

「デザイン思考」とは?


東洋大学ライフデザイン学部人間環境デザイン学科 柏樹良准教授

ーー柏樹先生は、もともとプロダクトデザイナーだとお聞きしています。どのようなきっかけで「デザイン思考」に注目されるようになったのですか?
「もともと私は、ある企業でラジカセなどの電化製品のデザインを手掛けた後、別の業界に移って家具のデザインをしていました。ふたつの業界を渡り歩いたときに、電化製品と家具という分野では、デザインに対する考え方が大きく異なることに衝撃を受けたのです。」

ーーその違いは、どうして生まれてしまうのでしょうか?
「たとえば電化製品の場合は、最低でも5万台くらいの製品を作るのですが、家具の場合はそれが数百台から数千台だったり、ときには特注で1台だけ、ということもあるわけです。生産数が違うと生産工程に合わせてデザインの条件も変わります。それは業界では当たり前のことなのですが、そうした業界の常識をデザインに反映することで、本来あるべきデザインの姿と大きく離れてしまうのは、なにかおかしいぞ、と……。電化製品も家具も使うのは同じ人間なのに、ユーザー視点ではなく、業界の事情に振り回されているような気がしたのです。

だからこそ、それぞれの業界の事情によって発展してきたデザインに関する考え方をもう少し統合したいと考え、“デザイン思考”に関する研究をはじめました。」

ーー近年ではビジネスシーンにおいてもデザイン思考という言葉をよく聞くようになりましたが、具体的な内容がよくわからないという人も多いと思います。デザイン思考とは、どういった考え方なのでしょうか?
「いま世間ではデザイン思考という言葉だけがひとり歩きしてしまっているふしがあるのですが、もともとはIDEO(アイディオ)というアメリカのデザインコンサルティングファームの創設者たちによってまとめられたデザインのメソッドで、優秀なデザイナーがイノベーティブ(革新的)な発想をできるのはなぜかということに着目した思考法です。

現状、日本でよく言われている『デザイン思考』のなかでは、人の生活に隠れた潜在的な欲求や需要をあぶり出すまでのメソッドはできつつあるのですが、それに沿って有効なアイデアを出し、イノベーションにつなげていくというメソッドは確立されていないのです。ですから、私の場合はそのなかで、“アイデアを出すにはどういった心構えが必要なのか”、“どういうことをおさえておくべきなのか”をデザイン思考法として教えています。
   

デザイン思考を身につけるトレーニング



ーー先生が教えているデザイン思考法の具体的な内容を教えてください。
「基本的には、“いかに世の中をバイアスなし(偏りなく)で見られるようになるか”というトレーニングです。私が大学の授業で実際に学生たちに出している課題を例にお話ししますね。」
   

1.人が履いている靴についての「インタビュー」

  
「学生たちにまずしてもらうのは、他人にインタビューをして、聞いたことをできるだけ克明な文章にすることです。たとえば、『隣に座っている人の靴についてインタビューしてください』という課題だとしたら、私が最初に誰かひとりに実際にインタビューをして見せます。

“その靴はどこで買ったんですか?”、“どうして買ったんですか?”という質問を掘り下げていくだけでも、たとえば、“自分では買う必要がないと思ったけれど、母親に『そんな汚い靴を履いて……』と言われたから近所の店まで嫌々買いに行った”とか、“ずっと欲しかった靴で、アルバイト代を半年貯めて憧れのショップまで買いに行った”などといった話が出てくるわけです。そうすると、靴という話題ひとつで相手の家族構成やモノに対するこだわり、普段の生活までもが見えてくるんです。」
  
ーーその回答を「できるだけ克明な文章にする」というのはどうしてですか?

「こういった課題を出すと、最初はみんな聞いたことを箇条書きにしてまとめたがるのですが、箇条書きというのは、すでに自分のフィルターを通して重要そうな情報を無意識に取捨選択してしまっている状態です。一方で、克明に長い文章でまとめようとすると、箇条書きでは見落とされてしまいがちな些細なこともすべて書いていないと辻褄が合わなくなります。

だからこそ、まずは身近なものごとを見たり聞いたりした結果をひとつの長い文章にまとめることで、目につく事象の裏側にはさまざまなストーリーがあるという感覚を持ってもらいます。」
   

2.「エスノグラフ」で、できごとを文章化する

  
「そういったトレーニングのあとは、また別の事象に関するエスノグラフを書いてもらうという課題を出しています。」

ーーエスノグラフ、とは具体的にどういったものですか?
「ひと言でいうと、フィールドワークに基づいた記録ですが、一例を挙げると、“お金をやりとりする場面”を観察して文章にしたものです。たとえば、とあるコンビニでのできごとを観察したら、こういった記録になることが想定されます。」
  

“コンビニの駐車場にワンボックスカーが1台入ってきた。助手席から作業服の男性・Aさんがひとり降りてきて、店内に入って真っ直ぐトイレに向かった。やや遅れて運転席からもうひとり作業服の男性・Bさんが降り、店内に入ってきた。BさんはAさんがトイレに行ったのを見届けて、雑誌コーナーで本を立ち読みし始めた。しばらくするとAさんがトイレから出てきて、立ち読みをしているBさんに目配せをしたあと、ドリンクのコーナーに行った。Bさんはそのことに気づき、雑誌を置いて彼についていった。Aさんは缶コーヒーをふたつ取ってレジに向かい、支払いを済ませた。”


ーーなるほど。詳しい文章で読んでみると、このふたりの関係も見えてきますね。
「このふたりはおそらく工事現場の作業員で、仕事帰りでコンビニに寄った先輩と後輩であるという想像がつきますよね。こういった記録の形になっていると、実際にはその場にいなかった人にも共有することができます。」
  

3.5つの「モデル分析」をする

   
「文章にしたあとは、このできごとを5つの違った視点から書き起こす『モデル分析』という作業をしていきます。」
 

・フィジカルモデル ここでは、コンビニの駐車場、入り口、レジ、売り場といった場所の物理的な位置関係を簡単な平面図にして描いていきます。
・カルチャーモデル 客のどちらが支払いをしたか……といったその場の人間関係に着目して、人の動きを仔細に記録します。
・アーティファクトモデル ここでは、カゴや財布、お金を入れるトレー、ポスレジといった人工物がどこでどのように使われていたかを書き出していきます。
・シーケンスモデル これは時間の流れです。時間軸に沿って、“男Aが車から降りてきた、店員Cがいらっしゃいませと言った、男Bが降りてきた……”といった記録をつけます。
・フローモデル そして最後に、それら4つのモデルをすべて統合した「フローモデル」を書きます。


ーー図や言葉、さまざまな形でひとつのできごとを記録するわけですね。計5つものモデルをつくるのはどうしてですか?
「おおよその人が、『フィジカルモデル』(平面図)と『シーケンスモデル』(時間の流れの記録)は最初から問題なくつくれます。ところが、人間関係や人工物の動きといったことは見落としてしまっているケースが多いのです。

詳しい文章にしてその場を記述し、さらに5つの視点からひとつの事象を分析することを覚えると、次からは違ったできごとを目の前にしても、脳をフル回転させて観察することができるようになります。さらに、観察によって作成した資料を他者と共有することで、その場のできごとを疑似体験することができるのです。」
    

疑似体験がデザインの質を左右する。デザイン思考の活用例



ーーなぜその場のできごとを疑似体験することが重要なのでしょうか。
「たとえば、“ダイビング用のカメラをデザインしてほしい”という仕事があったとき、自分自身がダイビングのライセンスを持っていて、海に潜った経験があるのであれば、もちろんそれが一番いい。また、場合によっては、実際にライセンスをとって海に潜ることもできると思います。ところが、“宇宙船のデザインをしてほしい”という依頼があったとしても、なかなか宇宙飛行士にはなれませんよね(笑)。」

ーーそうですね、なれないです(笑)。
「だからこそ、あたかもそのできごとの当事者であるかのような疑似体験をどれだけできるかが重要になってくるわけです。これを『経験の拡大』とデザイン思考では呼ぶのですが、ゆくゆくはそれをもとになにかを発想することになる。発想をするときは、現象を観察するだけではなく、その現象を“解釈”できていなければいけないのです。この“解釈”の良し悪しによって、そのあとの発想のクオリティが大きく変わってきます。」

ーー“解釈”が発想につながってくるというのは、具体的にはどういうことでしょうか?
「デザイン思考が実際の発想に生かされた一例をお話ししますね。私は企業のコンサルティングも行っているのですが、病院や介護施設のベッドをつくる企業のデザイン部門に、1年かけてデザイン思考法を教えたことがあります。

話を聞いていくと、病室のベッドをデザインするとき、これまでは看護師や介護士、医師といった介護する側にしかヒアリングをしていなかったことがわかってきました。そこから、もっと患者さんにとって居心地の良いベッドをつくりたいとなったのですが、じゃあ“居心地が良い”とはどういうことか、メンバー全員で議論したのです。結果、1か月くらいの時間をかけて、病室でベッドを利用している人、公園で寝転んでいる人、ホテルのロビーで延々時間を潰している人、床屋で髭を剃ってもらっている人……など、さまざまな人を観察し、モデル分析をしてメンバー間で共有しました。」

ーー徹底していますね……!その結果、気になります。
「そのなかで、ホテルのロビーを観察していたメンバーが、人が自分の近くに荷物を置くときは、自分と荷物との距離がその人にとって重要だということに気づきました。自分のいちばん近くに携帯電話があって、その隣に財布の入った鞄があって、自分からいちばん遠いところに紙袋に入ったおみやげがある……というように。どうやら人は自然と、自分が安心するような順番で荷物を置くと仮定できました。

一方、これまでの病室は、携帯電話を充電できるコンセントや財布を入れられる引き出しがベッドから遠いところにしかなかった。その後、その企業は得た知見をもとに、病室のデザインを変えていきました。これはただ物事を観察しているだけではわからない、“解釈”の成果と言えると思います。」
   

「デザイン思考」を身につけるために大切なこと



ーーいまのお話では、フィールドワークやモデル分析に1か月の時間をかけられたということでした。デザイン思考をゼロから身につけるとなれば、やはり長期的な視点でトレーニングが必要になるのでしょうか。
「そうですね。私自身はなにかをデザインするときに、もうほとんどモデル分析はしていません。でもそれは、これまでのデザイナーとしての経験があるからなので、これから身につけようとしている方には、最低でも2~3回は半日くらいの時間をかけてフィールドワークに行き、詳細なモデル分析を繰り返すことを推奨しています。巷には数時間・数日でデザイン思考を教えるワークショップもありますが、そんな簡単に取り入れられるものではないというのが私の考えです。」

ーー一朝一夕で身につくものではない、ということですね。
「デザイナーに限らず、何かを発想するクリエイターであろうとすることは、自分の責任で世の中にアウトプットをしていくことだといえます。自分が発想したものがまったくイノベーティブではなかったり、世の中を変えられるようなものではなかったとしても、それを観察した対象のせいにはできません。だからこそ、クオリティの高い発想をし続けるための思考を長い時間かけて習慣化する必要があります。

デザイン思考をきちんと使いこなせるようになれば、どんなビジネスマンであっても、他者が思いもつかなかったような新しい価値を世の中に創出できるかもしれません。必ずできるようになる、とは言いきれませんが、その確率は確実に上がると思います。」
    

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