医学博士に聞く、記憶力・学習力アップに影響する脳機能「シナプス可塑性」とは?

自転車に乗れるようになったり、勉強して英語が話せるようになったり――

このように私たちがものを覚えたり、また練習によって上手にできるようになるときには、脳の細胞が機能しています。私たちが生まれたとき、脳細胞の数はみな同じですが、それぞれの環境や経験によってそのつながりであるシナプスの数は変化し、記憶力と学習力に個人差をもたらします。

この記憶と学習の質は、「シナプスの可塑性(かそせい)」を活性化させることで向上できると言われています。つまり、この「シナプスの可塑性」の仕組みを理解し、上手に活用することができれば、私たちの記憶力や学習力を高められる可能性があるのです。

今回は、脳とこころのメカニズムを細胞レベルで研究する東洋大学生命科学部の児島伸彦教授に、そもそも「シナプスの可塑性」とは何か、そして記憶と学習の質を上げるためのヒントを伺いました。

私たちの記憶と学習を司る「シナプスの可塑性」とは?

画像:東洋大学生命科学部 児島伸彦教授

――はじめに、児島教授の研究テーマでもある「シナプス可塑性」について、教えてください。

「脳内には、ニューロンと呼ばれる神経細胞がシナプスを介してつながっていて、電子回路のようなネットワークをつくって情報を伝達しています。

電子回路と大きく違うのは、このニューロン同士を接続するシナプスは、その人がさまざまなことを経験したり学習したりすることで、それを記憶し、変化するということ。ニューロンから受け取った情報をそのまま流すのではなく、シナプスを大きくしたり小さくしたりすることで、情報の伝わりやすさを操作しているのです。このシナプスの変化を、『シナプスの可塑性』といいます。」

―― “シナプスを大きくしたり小さくする”と、どのような効果があるのでしょうか。

「何が起こっているのかというと、シナプスのはたらきを強くしたり弱くしたりする“機能的な変化”と、シナプスの数を増やしたり減らしたりする“構造的な変化”が起きています。

新しい経験や体験などによって脳が活性化され、シナプスの通りが良くなれば伝達物質の放出量が増え、数が増えれば接点が増える分、情報をたくさん伝えられる・受け取れるという効果がみられます。こうした人の経験や体験によって変化する柔軟性の実態が、『シナプスの可塑性』だと考えられています。」

――どのようなときにシナプスが変化しているのでしょうか。

「物の名前を覚えたり、計算をしたりするときだけではなく、体で覚えるような運動学習の記憶にも『シナプスの可塑性』が影響しています。

たとえば、初めて自転車に乗るときは、何度も失敗していく中で体の動かし方を学習して乗れるようになります。そういった失敗から学習し、修正することも『シナプスの可塑性』が関係しているのです。要するに、乗れた感覚を覚えるだけではなく、乗れるようになるまでの過程においても、『シナプスの可塑性』が働くのです。」

――そう考えると、日常のあらゆる場面で「シナプスの可塑性」が機能していると考えられますね。

「何をするにも、ある程度の情報を蓄えて処理することが必要です。一冊の小説を読むにも、読み進めるためには登場人物を記憶できなければ話が進むたびに登場人物を確認し直さなければなりません。これにも『シナプスの可塑性』が影響しています。つまり、『シナプスの可塑性』は記憶や学習を操作するだけではなく、脳機能のすべてに関わっているといえるでしょう。」

記憶を整理する?「シナプスの可塑性」と「忘却」の関係

――記憶とは反対に、私たちは「忘れる」ということもあります。こうした「忘却」の脳の仕組みも「シナプスの可塑性」が関係しているのでしょうか。

「記憶には、“ずっと覚えている記憶”と“短期で忘れてもいい記憶”があります。『シナプスの可塑性』は、よく使われる記憶を蓄え、使われない記憶を消去して情報を整理するという働きもします。そこでその人にとって重要な情報とそうでない情報を仕分けしていきます。」


画像:忘却の脳内メカニズム

「『忘却』は、マイナスなものとして捉えられがちですが、これが正常に動作しないことが精神疾患の原因にもつながっていると考えられます。

人の『長期記憶』の容量は無限だといわれていますが、たとえば自閉症の一種であるサバン症候群の人の中には、一回聴いただけの音楽をピアノで弾けたり、一瞬見ただけの景色を記憶して描けたりするなど、一般的には考えられないような優れた能力を発揮する症状がみられます。これは、私たちの脳の記憶容量が無限であることを示していると私は考えています。

しかし、こうした特殊とも言える記憶能力は、情報の取捨選択において『忘却する情報』が仕分けられない状態と考えられます。この取捨選択が適切に行われる状態が“正常な脳の働き”であるともいえるのです。」

――「シナプスの可塑性」がうまく機能しないことは、「忘却」がうまく機能しないことにつながり、心身に影響が生じる場合もある、ということでしょうか。

「そうですね。たとえばADHD(注意欠陥多動性障害)や自閉症は、一般的に発達障害といわれ、胎児期に神経系回路の発達が正常に働かなかったこと、つまり脳の発達期にシナプスの可塑性がうまく働かなかったことが主な原因として考えられています。そのために情報の伝達がうまくいかなくなり、興奮と抑制のアンバランスが起こります。

しかし、発達障害の症状の多くは一時期のもので、ADHDで子どもの頃に落ち着きがなかったりしたとしても、成長するにつれてそのような症状が改善することはよくあります。」

――成長過程で「シナプスの可塑性」を活性化させることによって、改善されるということですか。

「先ほどの自転車の話と同じで、失敗を繰り返して学習し、修正してエラーを減らしていくことで改善される可能性はあります。失敗する過程がとても重要で、そうした経験によって脳の働きを変えることができるのです。こうして脳が成長していくということが、可塑性の最大の特徴ともいえるでしょう。」

――話は変わって、子どもたちの中には“よく忘れものをする子”っていますよね。これは「シナプスの可塑性」が低下している、と考えられるのでしょうか。

「性格的な面が大きいですが、おそらく“固執傾向が強い”ということも影響していると思います。情報は入ってきていても、別の情報に対するこだわりが強いために、本来覚えなければならない情報が疎かになっている、という状態です。つまり、右側のシナプスの通りは良いのに、左側の通りは悪い、というアンバランスな状態になっているという可能性が考えられます。」

――なるほど。では、老化や認知症でもの忘れが増えるのも、「シナプスの可塑性」が影響しているのですか。

「記憶はただ覚えて保存しておくだけではなく、それを必要に応じて引き出すことが必要です。その過程であまりに情報が多いとなれば、うまく引き出せないことがあるかもしれません。

しかし、もの忘れの場合は、決して忘れてしまっているわけではなく、きっかけを与えられればポンと思い出せることがあります。それはどこかに仕舞われている記憶だから思い出せるのですが、認知症などの場合だと、それが引き出せません。ですから単純なもの忘れと認知症は似ているようで、本質的に違うため、切り分けて考える必要があるでしょう。」

――もの忘れは“忘れた”のではなく、“引き出せない”ということなんですね。

「細かくて密だった神経回路の網目が、老化によってだんだん粗くなってくるようなイメージです。しかし、それでも思い出すきっかけがネットワークの中にあれば、それをたどって記憶を引き出すことができます。ですから、あるものを覚えるときにいろいろなものを関連づけて覚えていく“連想ゲーム”は、もの忘れを予防するのにとても効果的なトレーニングになります。

老化で細胞は減ってしまいますが、脳の働きが悪くなる一方なのかといえばそうでもありません。年相応の努力をすれば、子どもの頃ほどではなくてもある程度のシナプスの数を維持することができるといえるでしょう。」

記憶力・学習力は、後天的に補うことができる?「シナプスの可塑性」を活性化させる方法

――記憶力や学習力の個人差に、遺伝は関係しているのでしょうか。

「たとえば、“視覚からの情報をどのようにして処理するか”という情報処理の構造は、遺伝的に決まっています。しかし、もともとの構造の違いはあっても、生まれたあとの環境的な要因が大きく影響し、変化するのが脳の特徴です。」

――それはつまり後天的な経験で、その後の記憶力や学習力をアップできるということでしょうか。

「はい。可塑性にもいろいろなレベルがありますが、乳幼児から大学生までの発達期はとくにそのレベルが高い傾向にあります。つまり若い頃の記憶は、比較的忘れないで覚えていられるため、若いうちにいろいろな経験や学習をすることは良い効果を生むとされています。」

――たとえばスポーツの世界でも、子どもの頃からひとつの競技に絞るのではなく、全く異なる動きをする競技をトレーニングに取り入れるという話もあります。これも脳の働きから考えて効果があるのでしょうか。

「同じ競技だけをしていると、決まった動きしかしないために応用力が身につかないという可能性が考えられます。もちろん競技の種類によるとは思いますが、全く異なる動きをする種目をトレーニングに取り入れると、状況判断やその状況に応じた動きが新しく生み出されるので、効果があると思います。新しいチャレンジで、身体的な運動能力を高めるだけでなく、使われていなかった脳の機能を活性化させ、情報の処理能力も高めることで競技力の向上にもつながるはずです。」

――いろいろなことに挑戦することに対し、ひとつのことを集中的に教える英才教育は良い効果が生まれるのでしょうか。

「効果を生むためには、そもそもの精神状態が良くないと勉強も長続きしません。脳を活性化するには、刺激を与えることが必要ですが、反対に刺激しすぎることも心のバランスを崩す原因になります。英才教育でも、本人が楽しくないのにやらされているのが一番良くない状態であって、本人が楽しんでやっていることであれば、効果は得やすいと言えます。

シナプスの可塑性を健全な状態で活性化させるためにも、“無理なく続けること”が大切だということです。」

脳の健康と「シナプスの可塑性」。普段の生活で私たちが意識すべきことは?


――シナプスの可塑性が、脳の発達に大きく影響することはよくわかりました。では、この「シナプスの可塑性」を活性化させるために、普段の生活で私たちが気をつけなければいけないことはありますか。

「ひとつは、脳の健康を保つことですね。具体的には、生活習慣を整えたり、バランスの良い食事を摂ったり、適度な運動をするなど、体の健康を維持することと同じです。このバランスが崩れてしまうと、精神疾患や認知症になるリスクが高まります。つまり、心身の健康を保てば、脳も自ずと健康でいられるということになります。

そういう意味では、昔ながらの『よく寝て、よく遊び、よく食べる』という教育は、理に適っているといえます。勉強だけを詰め込むのではなく、遊ぶことも脳の活性化には重要だからです。」

■シナプス可塑性を増強する方法=“ボケ”を予防するための10ケ条

1.偏りのない食生活
2.適度な運動をする
3.興味・趣味・生きがいを持つ
4.人とのコミュニケーションをとる
5.高血圧・高血糖・肥満にならないよう気をつける
6.アルコール・煙草は極力控える
7.ストレスが溜まらないようにする
8.ルーティンワークだけでなく、新しいことにチャレンジする
9.質の良い睡眠を取る
10.計画を立てるなど積極的に頭を使って考える

――先生は“生涯学習”も推奨されていますが、そういった活動が脳の老化防止にもつながるのでしょうか?

「そうですね。ずっと受身的にルーティンワークだけを繰り返していると、使われる部分が限られますから脳の働きは次第に衰えてしまいます。ある意味、脳というのは省エネ機械とも言えます。

たとえば、日本人が英語を学ぶときに、脳がどのように働いているのかというと、初学者の脳であれば一生懸命英語を覚えようとして脳の働きが活発になります。しかし、英語が話せるようになってくると、あまり活動しなくなることが知られています。

『シナプスの可塑性』はよく使われている部分は強化されるけれど、使われない部分は淘汰されてしまう性質があります。つまり年齢を問わず、脳に新しい刺激を与え続けること、つまり運動したり、学習したりすることが大切で、『シナプスの可塑性』を強めることにつながると言えるでしょう。」

<プロフィール>

児島 伸彦(こじま のぶひこ)
東洋大学 生命科学部 生命科学科 教授

医学博士。神経科学、神経化学、神経薬理学を専門とし、こころの神経基盤であるシナプス可塑性の分子メカニズムの研究を行う。主な共著に『遺伝子と行動』(ナカニシヤ出版)、『脳・神経研究のための分子生物学技術講座』(文光堂)などがある。

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