数字を書く時間でメンタルヘルスの不調が分かる!?工学博士に聞く、文字と精神の関係性

近年、深刻な社会問題となっている「うつ病」などのメンタルヘルス不調
状況が深刻化する前に、自ら不調を早期発見することが大切な鍵となっています。

しかし、自分自身のメンタルヘルス不調に早めに気づくことは難しく、有効な手段は未だ確立されていないと言われています。では、どのような方法を用いれば、異変に気づくことができるのでしょうか。

今回は、「筆跡の時間情報」を活用したメンタルヘルス不調の早期発見というユニークな研究に取り組む、東洋大学生命科学部生命科学科教授川口英夫先生にお話を聞きました。

筆跡の時間情報を、メンタルヘルス不調の早期発見に繋げるに至った経緯とは?

川口英夫先生の写真
画像:東洋大学生命科学部生命科学科教授、川口英夫先生

ー今回の研究を始めた経緯は?

「近年、社会問題にもなっているメンタルヘルスの不調は再発率が高いため、早期発見し、発症そのものを防ぐ方策が重要になります。

2015年から、労働者50人以上の事業所ではストレスチェックの義務化が始まりましたが、ストレスが溜まっていることが分かっても、メンタルヘルスの不調まではなかなか分かりません。
精神科医の問診なら大丈夫ですが、自答式の質問票に答えるだけでは、メンタルヘルスが不調になるリスクが高い人の傾向を定量化することは困難です。なるべく良い答えをしようとする作為も入りやすいためです。定量化できないと、早期発見に繋げることも難しい。」

ー確かに、良く答えようとしてしまいがちですね。それだと質問票に限界があると。
それで、メンタルヘルス不調になるリスクが高い人の傾向を定量化する方法を模索し始めたんでしょうか?

「そうですね。
以前、私は日立製作所基礎研究所というところに在籍しており、その時に“文字を書くこと”と“脳の機能”の関係に着目し、この研究を始めました。

“書く”という作業は、脳のコントロールとして非常に精緻なことです。特に、日本語は平仮名だけでなくカタカナや漢字など複数の種類がある。
だから、日本人が文字を書くとき、実は非常に細かい脳のコントロールが行われているんですよ。
さらに、文字を書く“手の筋力”は、体全体の筋力を表しており、体が衰えると手の筋力も衰えます。

つまり、“文字を書く”という作業は“非常に精緻な脳の運動コントロール”“体全体の筋力”の双方を代表するものなのではないかという仮説から、文字を書く作業から脳の機能を解き明かすことができるのではないかと考え、研究テーマの1つとしてメンタルヘルス不調の早期発見に役立ててみようということになりました。

そこで、スウェーデンにあるANOTO社が1990年代に開発したデジタルペンを、メンタルヘルス不調の早期発見に用いることはできないかと考えました。」

ANOTO社デジタルペン
画像:ANOTO社デジタルペン

デジタルペン×内田クレペリン検査によって、メンタルヘルス不調の早期発見ができる…!?

“書く”という作業は、脳の細かいコントロール体全体の筋力の双方を代表する作業だという仮説を立てた川口先生。
それでは、具体的に“書く”作業のどういった部分がメンタルヘルス不調の早期発見に繋がっていったのでしょうか。

川口英夫先生とデジタルペン
画像:東洋大学生命科学部生命科学科教授、川口英夫先生とデジタルペン

「デジタルペンをメンタルヘルス不調の早期発見に役立てようと思ったとき、デジタルペンの“筆跡の時間情報を取れる”という機能に着目しました。

このデジタルペンで文字を書くと、ペン先の位置(x,y)とその時の時間(t)筆圧(p)を記録することができ、それらの関係性から文字を書くときの加速度や、ストローク(文字を書くときの一画のこと)とストロークの間の時間など、さまざまな情報を得ることができます。」

ーデジタルペンを用いて文字を書くことで得た筆跡の時間情報が、どのようにメンタルヘルス不調の早期発見と繋がったのでしょうか?

メンタルヘルスについての質問票を記入した人にデジタルペンを使用して文字も書いてもらい、メンタルヘルス不調のリスクが高いと判断された人が文字を書くときのx,y,t,pの相関をすべて検討していきました。

さまざまなデータを集める中で分かったのが、被験者に「内田クレペリン検査」という計算をしてもらい、数字を書いてもらうという方法が、メンタルヘルス不調の早期発見に有効であると見つけました。」

内田クレペリン検査の仕組み
画像:内田クレペリン検査の仕組み

ー内田クレペリン検査って、たくさん並んだ数字の間に、両隣の数字を足し算した答えの、1の位の数字のみを書いていく検査ですよね?
就職活動などで使われる…。

「そうです。

数字の計算にかかる時間に着目すると、健康な人メンタルヘルス不調になるリスクが高い人との間で差が出やすいことが分かったのです。」

ーつまり、1問解いて数字を書いてから、その次の問題を解いて数字を書くまでの間の時間に差があった…計算をする速さに差があったということですか?

「はい。少し細かな話になりますが、正確に言うと2画の数字(4,5,7)を書く際の、1画目を書いてから2画目の数字を書き始めるまでの時間(「数字内ストローク間隔時間」)と、問題を解いて数字を書くまでの間の時間(「数字間ストローク間隔時間」)の比を算出しています。
(例えば、1画目と2画目の間を0.1秒で書く人が計算に0.5秒使っていたら、その人の比は5倍ということ。)

1画目から2画目を書くのは、健康な人もメンタルヘルス不調者も、かかる時間は0.1秒~0.2秒ほどです。これは脳で考えるまでもなく、無意識で数字を書いているので両者に差がありません。

一方、問題を解いてから数字を書くまでの時間に関しては、健康な人が0.5秒~1.0秒ほどかかり、比率が4~6倍であるのに対し、メンタルヘルス不調者は2.0秒~4.0秒ほどかかり、その比率は10~15倍と大きい数字になる傾向があります。」

ーどうしてそのような違いが出てしまうのでしょうか。

“数字を書く”ということは無意識の内にできてしまいますが、“計算をする”ということには多くの判断が必要になります。
当然、計算自体の判断が必要ですし、“この計算合っているかな?”と一瞬不安になり、一度計算したことに対してもう一度判断をし直してしまったり…。

これらを『認知プロセス』と言うのですが、メンタルヘルス不調者はこの認知プロセスを上手く動かすことが難しいと考えられます。」

メンタルヘルスの不調に気がついたらどうすれば良い?川口先生の今後の研究課題とは

“数字を書く時間”と“計算を行う時間”の比を見ることが、メンタルヘルス不調の早期発見に繋がるということを発見した川口先生。
今後、この発見を生かしてどのような研究を行っていくのでしょうか。

川口英夫先生の写真

「現在進めているのは、生活環境、運動習慣、食習慣や摂取栄養素などの項目を調査し、リスクの高い人たちとリスクの低い人たちに分けて、どこに違いがあるのかを探しています。その結果から、リスクの高い人たちが自分でできる、“効果的な対処方法”を探す必要があると考えました。」

ー具体的にどのような方法が見つかっているのでしょうか?

「いくつか方法がある中で、個人でも実施できそうな方法としては、運動習慣食事習慣の2つです。

リスクの高い人たちがどんな生活を送っているのかを調べたところ、やはり運動習慣があまりない人が多いんです。なので、まずは“2〜3日に1度はきちんと運動をする習慣を取り入れる”ことが必要です。

また、食事に関しても、リスクの高い人は食事の時間が不規則だったり、メニューの偏りが多い傾向にあるため、例えば魚の脂に含まれている不飽和脂肪酸を多く摂取するなどの“バランス良い食生活を心がける”ことが効果的です。

“運動習慣と食事習慣に気をつけましょう”ということはつまるところ、“生活習慣、生活リズムに気をつけましょう”ということです。」

ーこれから、この研究がどのように発展していくのか教えてください。

メンタルヘルス不調への対処方法を確立できたら、将来的には企業や一般の人たちに向けて、メンタルヘルス不調の早期発見方法、そして不調のリスクが高くなった場合の正しい対処方法を提示できればと考えています。」

忙しい毎日だからこそ、運動習慣とバランスの良い食事を取り入れよう

忙しさのあまり運動不足になってしまったり、不規則で偏った食生活を続けてしまいがちな現代人。メンタルヘルスの不調はもはや他人ごとではありません。

「最近忙しい毎日が続いているな…。」と感じている人は、1桁の数字を紙に並べて、数字を書く時間計算する時間を測ってみましょう。「もしかして、リスクが高いかも!?」と感じたら、日常的に運動習慣を取り入れ、バランスの良い食事を心がけてみてください。

早期に発見できれば、深刻化する前に対処することができます。自分のメンタル状態に気を配りながら、忙しい毎日を乗り切りましょう。

<プロフィール>

川口英夫先生の写真

川口 英夫(かわぐち ひでお)
東洋大学生命科学部生命科学科 教授
専門分野は、脳科学研究。博士(工学)。
日立製作所基礎研究所、東京工業大学(客員助教授)兼任などを経て、2009年より東洋大学の教授に就任。
「筆跡の特徴量と精神状況の関係」以外にも、「共同作業時における行動特性の解析」、「iPS細胞の分化誘導と分化細胞の機能」などを研究している。