近代哲学の祖、カントが唱えた批判主義と道徳とは?【四聖を紐解く②】

東洋大学の創立者であり、哲学者の井上円了は、多様な視点や考え方を身に付けることができる学問として“哲学(philosophy:フィロソフィー)”を広めることに尽力したことでよく知られています。フィロソフィーは、古代ギリシャ語の「知ることを愛する」に由来していますが、もう少し平たく言えば、「ほんとうのことを知りたい」という気持ちから始まる活動、言い換えるなら、発見や知ることの喜びを意味しています。

フィロソフィーにこのような意味があることがわかると、円了が熱心に広めようとした妖怪学も、根拠のない妖怪や迷信に生活を左右されている人々にほんとうのことを知ろうと促す、フィロソフィーという活動の一環だったということが理解できるのではないでしょうか。

そんな円了は、古今東西の賢者たちの中から4人を「四聖」(しせい)として東洋大学のシンボルに定めました。四聖とは、孔子・釈迦・ソクラテス・カント。彼らは活躍した時代や国は違えども、現代の私たちに生きるうえで大切な教えを与え続けています。

この四聖の思想と生涯を紐解くシリーズ第二弾の今回は、近代哲学の祖ともいわれるカントを取り上げます。哲学に限らず後世に大きな影響を与えたカントの思想について触れてみましょう。

遅咲きの哲学者、カントの生涯


▲東洋大学の全キャンパスに設置されている四聖のレリーフ

カントと聞いて、『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の三批判書を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。彼は18世紀を代表する哲学者にして近代哲学の祖といわれています。

というのも、「コペルニクス的転回」と呼ばれる認識論上の革命を起こした『純粋理性批判』、普遍的な道徳の基準を理論立てた『実践理性批判』、現在の国連のひな型となる国際機関創設を提案した『永遠平和のために』など、様々な問題を普遍的な原理から考え直すという大事業を行ったからです。その結果、「カント以前の哲学はすべてカントに流れ込み、カント以後の哲学はカントから流れ出る」といわれるほど現在に至るまで多方面に深い影響を与えています。

イマヌエル・カントは1724年4月、東プロイセンの首都ケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)に生まれました。勤勉実直な馬具職人の父と感受性豊かな母は、共にルターの精神をもとにした敬虔(けいけん)主義に基づきながら、子どもたちに温かい思いやりのある生活を送っていたとされています。このような両親の生活態度は、カントに勤勉・正直・潔癖・独立という価値観の重要性を教えたといわれています。

一般に、敬虔主義とは、プロテスタント正統派が行った「信条集」の厳格な遵守という形式主義への反発から生まれたとされます。その特徴は、特定の教理を形式的に遵守することではなく、祈りと聖書を読むことを通じて根本的な回心と信仰への覚醒へと至る悔い改めの闘いを強調し、「古い自己」が神の恩寵を通じて「新しい自己」によって克服されることを重んじた点にあります。

カントが生まれ育った家庭は、決して裕福とは言えないものでした。13歳のときに母を亡くしたカントは身の回りのことはもちろん、早くから自活をしなければならず、ケーニヒスベルク大学に入学した後も、同級生の勉強の面倒を見ることで学費の足しにすることもめずらしくありませんでした。一張羅の上着が傷んだので仕立て屋に直してもらっている間、家を出ることができなかったという逸話が残っているほどです。

こうした生活の中で、カントは哲学者クヌッツェンという師を得て、自然の事象を総合的に解釈し、説明しようとする“自然学”を学んでいましたが、父の死去により大学から去ることを余儀なくされます。金銭的余裕がなかったため、父の葬式は公費でとり行われたと言われています。

その後も、カントは家庭教師として働くことでなんとか生計を立てながら、ケーニヒスベルクで正教授職を得るために論文を書くような日々を10年ほど送った後、1755年に31歳でケーニヒスベルク大学の私講師になります。私講師とは、聴講する学生から直接授業料を受け取る非常勤の講師のことです。授業を受ける学生の数がそのまま収入に直結するため、聴講生の知的・学問的な関心を満足させるような高度にして表現力豊かな内容の講義が自ずと求められます。

実際のカントの講義はというと、ユーモアを交えながら、いきいきと学生たちに語りかけるような授業だったと伝えられており、聴講生からも高い評価を受けていたようです。また個人的には社交的な性格で、のちに彼の催した昼食会には各界から多くの人が競って参加したとも伝えられています。

そうして人気講師となったカントは多忙な日々を送りながら、1770年46歳でケーニヒスベルク大学の論理学・形而上学の正教授に任命されます。その後「沈黙と模索」の10年を費やして『純粋理性批判』を出版、さらに10年の間に『実践理性批判』『判断力批判』を世に問います。これが三批判書と呼ばれるものです。彼は長い雌伏の時を経て、遅咲きの哲学者として大成することになります。

晩年は身体とともに思考力の衰えを感じながらも、精力的に哲学の研究を続けました。彼は生まれ育ったケーニヒスベルクから遠く離れることもなく、1804年2月79歳でこの世を去りました。「これでよい(Es ist gut)」が末期の言葉として伝えられています。

「繰り返し、絶え間なく熟考すればするほど、常に新たにそして高まりくる感嘆と畏敬の念をもって心を満たすものが二つある。我が上なる星の輝く空と我が内なる道徳法則とである」

『実践理性批判』「結び」のこの文章は、現在もカリーニングラードの街中の壁にレリーフとして埋め込まれています。また、カントを記念したレリーフも彼の生家跡近くの建物の壁に埋め込まれています。さらに、カントの「定言命法」がロシア語で書かれたベンチもあるとのことです。現地を訪れることがあったら探してみてはいかがでしょうか。きっとカントが街に溶け込んでいることが実感できるでしょう。

“批判”とは物事を“吟味”することにあり

カントが『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書により提唱した“批判”とは、物事を根源的に“吟味”することを指します。

“批判”と聞くと、物事について厳しい意見をもったり、相手や対象の欠点や弱点をことさらにあげつらうといった印象を受けますが、カントのいう批判とは、理性・感性などの人間の諸能力を個々の経験を離れて純粋に吟味することを意味します。理性の関心とは、突き詰めれば「人間とは何か」であり、その問いは「私は何を知りうるか」「私は何を為しうるか」「私は何を望みうるか」の三つに分けられ、それぞれの問いが『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』に対応しています。なかでも『純粋理性批判』は、「形而上学を葬り去ることではなく、形而上学を学問としての基盤の上に打ち立てるための準備作業のようなもの」と位置付けています。

それまで、哲学者の間では「神は存在するのか」、「世界に限りはあるのか」、「人間は自由なのか」といった形而上学的な疑問について議論が行われていました。しかし、カントはそもそもこうした形而上学的な知識が可能なのかという根本的な問いから出発します。伝統的な形而上学が犯している根本的な誤りとは、個々の経験から全く独立した世界を、人間は実質的に知ることができるという前提そのものを吟味していないことなのです。

カントは探求の結果、世界のどんな事柄であれ経験から独立してあるがままに認識することはできないという結論に達します。そして、形而上学が私たちに語ることができるのは、私たちの経験を成り立たせている制約についてだけなのだと主張します。このように、経験が成り立つためには必ず満たさなければならない制約を探求することは「超越論的」と名づけられます。彼自身、自らの哲学を「超越論的哲学」とも呼んでいます。

では、人間は何をもって「世界」を認識しているのでしょうか。存在している世界と、私たちが感覚器官などを通じて認識できる世界との関係はどうなっているのでしょうか。私たちが普段、感覚器官を通じて捉えている世界は、世界そのものとは言い切れません。カントは「人間の認識は、感性という形式、悟性(知性)という形式、理性の形式によって制限されている」と唱えました。

カントによれば、人間の認識とは、五感から入ってきた情報を時間と空間という形式によってまとめあげる能力としての「感性」、概念に従って整理する能力としての「悟性(知性)」に基づき、考える能力としての「理性」によって統一像にもたらされたものだと導き出しました。つまり、私たちは物をそれ自体として認識するのではなく、物が私たちに現れる通りに認識することしかできないということなのです。これを認識論における「コペルニクス的転回」と呼びます。

このように人間の認識能力は制約を受けているわけですから、従来の形而上学が扱っていた「神」や「世界の真理」について考えようとしても、人間の理性能力を超えた事柄については理解できないことがわかります。そのことを証明するために取り上げられるのが「アンチノミー」論です。アンチノミーとは相対立するふたつの命題がどちらも証明されてしまう状況を指します。カントは4つのアンチノミーを取り上げていますが、一例を紹介してみましょう。

「世界は時間的にも空間的に有限である」と「世界は時間的にも空間的にも無限である」。

まず「世界は有限である」を証明するために、その反対の「世界は無限である」ことが不可能だと証明されればよいとしてみましょう。これを反対の不可能性の証明といいます。さて、時間的に無限であるなら、過去に永遠の時間が流れていることになります。しかし、私たちは今現在という時間の区切りに立っています。その区切りから過去を振り返っているということになります。

無限とは、どんなに単位を付け加えてもどこかで計量が終わることができないということを意味しています。つまり、無限の時間が過ぎ去ったということはありえないのです。ゆえに「世界は無限である」は否定され、「世界は時間的に有限である」ことが証明されたということになります。空間についても同じことが言えますが、ここでは省略します。

実は、逆も同じように証明できてしまいます。「世界は時間的に無限である」について、先の場合と同じように、「世界は時間的に有限である」が成り立たないことが証明されればよいとしましょう。有限であるなら、世界が始まる前に、何も存在していない状態、空虚な時間しか流れていない状態があったことになります。空虚な時間には物が生じる条件がない。言い換えるなら、無からは何も生まれない。つまり、世界が有限であるということは成り立たない。ゆえに世界は無限であることが証明されたということになります。

このように、「世界は有限である」も「世界は無限である」も共に成立してしまう状況を理性の「アンチノミー(二律背反)」といいます。この「アンチノミー」論が『純粋理性批判』の白眉をなします。アンチノミー論によって伝統的な形而上学で語られている自由、魂の不死、神といった問題は認識の名に値しないことになります。つまり、理性は物をそれ自体として認識することはできず、物が現れるとおりにしか認識できないことがわかったのです。そう、一種のスキャンダラスな事態が暴露されてしまったのです。

この理性の限界をカントに気づかせたのが、イギリス経験論の系譜に数えられる、懐疑論のデヴィッド・ヒュームです。かつて、カントは人間理性に過度の信頼を寄せていました。しかし、ヒュームの著作に出会うことによって「ヒュームの警告こそが、独断のまどろみから私の目を覚まさせ、(略)私の探求にまったく新しい方向を示してくれた」(『プロレゴメナ』)とのちに告白しているほどです。

ヒュームの懐疑論は、因果律、特に原因の概念とは人間の経験的習慣にすぎないと主張することによって、人間理性への過度の依存を戒めました。カントはヒュームの結論を受け入れてはいませんが、それまでの理性能力を強く主張する自身の立場を考え直さざるをえなくなったことは確か。そのため『純粋理性批判』出版までに、長い沈黙が必要だったのです。

では、理性という能力、つまり筋道立てて論理的に考える能力を正しく働かせているはずなのに、なぜこんなことが起こるのでしょうか。カントによれば、解答することができないことを問うてしまう人間理性の本性によるのです。ただし、人間理性は私たちの認識を導き、方向付けすることができるというのがカントの主張です。

自由や魂の不死といった概念は「超越論的理念(超越論的理性概念)」とも呼ばれ、これらの概念は感性と悟性によって可能となる(経験的な)認識を超えるどのような種類の認識も与えないにもかかわらず、理性の深い関心の対象であることも確かなことです。ところが、これら理念を通じて、カント道徳哲学の特徴である「意志の自由による自律的道徳」につながる問題が浮上してきます。

カントの提唱する道徳とは?

カントの『実践理性批判』の対象は「道徳」です。『純粋理性批判』では必然性の世界、つまり自然界の法則が支配する世界の認識が問題となりました。私たちはこの自然界の住人です。しかし、同時に私たちは社会の中でも生きています。社会の中で私たちは道徳や倫理、あるいはルールといったものに従って生きてもいます。では、こうした道徳やルールはいったい何に基づいているのでしょうか。

幼少時に「人に親切にしなさい」、「約束は必ず守りなさい」、「嘘をついてはいけません」と教わった方は多いと思います。これらは当然のことに思えるかもしれませんが、「当然だと思えるのはなぜか」と聞かれた場合、すぐに答えられないかもしれません。

カントの時代は、神が絶対的な存在だったことから、誰もが「神の教えに背くことになるため」と答えていました。これは現在よりも神の存在が信じられていたためですが、カントは「人としてそうあるべきだから」という考えの基礎を提唱したのです。

たとえば、あなたの同僚が、今日中に終わりそうもないほどの業務を任されていたとします。ここで同僚に「手伝うよ」と申し出るとしたら、道徳的な行動をとったとみなされます。

このとき、「この人、このままじゃ帰れないだろう。ここで手伝ってあげれば自分のことがよく思われるかな」と心のどこかで思っていたのならば、「道徳的ではない」ことになります。カントからすれば、「同僚によく思われたいから」という欲求から「かわいそう」と思ったのであれば、動機はその時点で善い行いであるとは言えなくなるのです。

この「よく思われたいから助ける」つまり「見返りを求めて行動をする」という考えは、カントの道徳理論において「仮言命法(条件付き命令:もし~ならば、~せよ)」と名付けられています。

では、どのような動機で行動すべきなのか。カントは「助けるのが当然」という義務として行動することこそが、道徳的だとしました。これは「仮言命法」と反対の「定言命法(絶対的命令・無条件的命令:~せよ)」という考え方であり、「助けろ」と自らに命令して動くことです。これを自律的といいます。

ですから、「神がそう仰るから」という理由に基づく行為も、仮言命法と同じように自律的でないという意味で他律的であり、道徳的ではなくなるのです。

あらためてそれぞれの視点による動機を見てみると、ふたつの間には大きな差があることがわかります。

仮言命法:「同僚が帰れずに困っているので、ここで助けたら自分をよく思ってくれるだろうから、助けよう」
定言命法:「同僚が困っている。助けよう」

仮言命法は「かわいそうな同僚を助けて自分が善い人だと思われたい」という欲求を伴っているのに対して、定言命法は「困っている人を助けることに理由はいらない」と、当たり前のこととして行動に移そうとしています。

「他の誰からの命令を受けたわけでもなく、また見返りを求めることでもなく、ただそうあるべきだと自ら行うことこそが道徳的であり、人としてあるべき姿だ」というのが、カントの導き出した“道徳”の結論となるのです。このような人としてあるべき普遍的な行動は意志の自律に基づく実践理性の働きです。カントにとって自由とは、欲求に支配されてやりたいようにやることではなく、自らルールを立て、そのルールを守るという自発性、つまり意志の自律そのものなのです。

カントにとって人間の理性とはそれ自体がまず実践的なものであって、普遍的法則(道徳法則)を与えることができるものなのです。それ自体でということは、自己以外から原理を仰ぐことがないという意味で自律的であることを意味します。つまり、個々のあれやこれやの経験に左右されることなく(これをア・プリオリといいます)、理性は自己の内から自己を律する法則を生み出すことができる(原因となる)ということなのです。

こうした道徳観や理性観が、私たちが当たり前のように受け止めている人格の尊厳や自由=自律の根底にあるのがわかるのではないでしょうか。

スケジュールを徹底していた、カントのユニークなエピソード

そんなカントの後半生の生活は、日々起床から就寝まで、規則正しい日課に沿って生活していたことでも知られています。カントの1日は、早朝に起床、自宅で少し研究をした後、大学で講義を行って帰宅、人を招いた食事会、そして常に決まった時間に散歩をしていました。

散歩の時間もあまりに正確だったため、人々はカントの姿を見て時計の針を直していた……、という逸話もあります。しかしある日、カントはジャン=ジャック・ルソーの著書『エミール』をつい読みふけってしまい、散歩を忘れてしまったと伝えられていますが、最近の研究ではどうも都市伝説に近いらしいといわれています。ただし、ルソーの影響はカント自身も認めています。

『エミール』とは、少年エミールの乳幼児から青年期までの人生を取り上げ、それぞれの時期に従ってどのような教育をすべきなのか、といったことが小説の形式によって述べられている作品です。

カントは『エミール』を読んだ感動と衝撃を、論文『美と崇高との感情性に関する観察』の中で「私は……何も知らない下層民を軽蔑していた。私の誤りをルソーが訂正してくれた。目をくらます憂鬱感は消え失せ、わたしは人間を尊敬することを学ぶ」と語っています。カントにとって『エミール』との出会いは人間性に関する理解に180度の転換を促すほどの大きなものだったのです。

「哲学することは学ぶことができる」

哲学と聞くと、「難しそう」「理屈をこねくり回すだけ」と思ってしまう人も多くいるかもしれません。しかし、哲学者たちが人のあるべき姿を考え、提唱した理論や概念が私たちの考え方や振る舞い方、社会制度に大きく影響していることも事実です。

カントは、近代哲学史を語るうえで欠かせない人物というだけではなく、私たちが当たり前のように受け止めている考え方や振る舞い方の基礎にあるものを考え抜き、体系として築いた中心的なひとりです。カントはある講義の中で「自ら考え、自ら誤りを発見することの気高い自尊心」について語ったといわれています。カントの著作に触れ、出来上がったものを真似るのではなく、本当のことを知る「哲学すること」に触れ、日々の生活に新たな発見を得てみてはいかがでしょうか。

<監修者プロフィール>
朝倉 輝一(あさくら こういち)
東洋大学 法学部 法律学科 教授

博士(文学)。関東医学哲学・倫理学会運営委員、日本医学哲学・倫理学会評議員。日本哲学会、日本カント協会所属。哲学、倫理学を専門とし、討議倫理・討議理論やケア倫理、ターミナルケアなどを研究。主な著書に、『討議倫理学の意義と可能性』(法政大学出版局)、『21世紀の人間論的課題 医療と人間』「医療におけるコミュニケーション」「健康と病気 医療と文化」(ナカニシヤ出版)、『哲学をしよう』Ⅲ―5「死」(大成出版社)など。