INDEX

  1. 日本記録保持者だったのは、あの日だけ
  2. 僕が一番怒られていました(笑)
  3. 大学4年間があったからこそ今の自分がある

INTERVIEWEE


設楽 悠太(したら ゆうた)
2014年東洋大学経済学部経済学科卒
マラソン/ハーフマラソン日本記録保持者
Honda陸上競技部所属

東洋大学陸上競技部時代には、エースとしてチームを牽引、2度の箱根駅伝優勝を経験。卒業後はHondaに所属し、2017年にハーフマラソン、2018年にマラソンの日本記録を達成。双子の兄は、設楽啓太(日立物流/2014年東洋大学卒業)。


酒井 俊幸(さかい としゆき)
1999年東洋大学経済学部経済学科卒
東洋大学陸上競技部長距離部門監督

東洋大学陸上競技部キャプテンを経てコニカ(現・コニカミノルタ)に入社。引退後は、母校である学校法人石川高等学校で教鞭を振るう。2009年より東洋大学陸上競技部長距離部門の監督に就任。箱根駅伝、全日本大学駅伝などでチームを数々の優勝に導く。競歩では世界レベルで活躍する選手たちを多数育成。

日本記録保持者だったのは、あの日だけ

画像:設楽悠太選手(左)、酒井俊幸東洋大学陸上競技部監督(右)
   
―初めに、日本記録樹立おめでとうございます。どんなお気持ちですか?
   
設楽 「日本記録が出せたことを素直に嬉しく思います。今回の東京マラソンに向けては100%の準備ができたという自信と、前年同マラソンに出場した時と比べて気持ちの余裕もありました。当日は風もなく、絶好のコンディション。『日本記録を出すには今日しかない』と思ったんです。
   ―酒井監督は、東京マラソンを現地で応援されたのですか?
   
酒井 「当日は、ポイントを変えながら沿道で応援していました。偶然にも、39㎞地点付近で悠太のご家族(父・母・姉)とお会いして、そこからは一緒に観戦していたんです。レースが30㎞を過ぎたあたりで、悠太が一度先頭集団から離れたときは、少しキツいのかな、足が痛いのかなと心配になりましたが、40㎞手前くらいからは動きも良くなって、私が実際に見たときには『ひょっとすると日本記録を出せるんじゃないか?』と感じましたね。」
   
設楽 「正直、30㎞過ぎに井上大仁選手(MHPS)が飛び出したときには、彼に勝つのは厳しいかなと思っていたんです。彼には前年の東京マラソンで負けているし、本当に強い選手なので。 ただ同時に、『先頭で主導権を握る走りがしたい!』という思いと、『まだまだいけるはず!』という自信もまだ残っていました。脚の痛みでくじけそうになった瞬間もあったのですが、ゴール手前で家族や酒井監督の応援がはっきりと聴こえ、もう一度脚が思うように動いてくれたというのが今回の記録を出せた最大の要因かもしれません。
   
酒井 「ゴールの瞬間は、悠太のお父さんと『ついにやりましたね!』と喜びを分かち合いつつも、半分は『ここで出たか…信じられない!』という気持ちでした。いずれにせよ、注目度の高いマラソンという競技で、しかも東京マラソンで日本記録を出したことは、非常に喜ばしいことですね。」  
    画像:東洋大学陸上競技部の寮に飾られた設楽選手の東京マラソンのゴールシーン
   
―ちなみに、東京マラソン前日の会見では2時間9分台が目標と語っていましたが。
   
設楽 「僕は、もともとタイムを決めて走りたくないタイプなんです。そうすることで、自分に限界を決めてしまうことになるので。あの時は、書きたくないという気持ちもありつつ、目標の数字を書きました。」
   
酒井 「でも、東京マラソン前のイベントでは、2時間6分10秒と書いていたよね?」
   
設楽 「まぁ、半分は促されて書いたという感じです(笑)。でも結果的に有言実行できましたし、思い切って書いておいてよかったです。」
   ―日本記録を出した後、生活は変わりましたか?
   
設楽 「応援してくださる方がたくさん増えました。フラっと街に出れば、声をかけられることも多くなって。東京マラソンをきっかけに、皆さんが僕のことを知ってくれたことはとても嬉しいです。しかし、注目度が上がった分、一つひとつの行動にもっと責任を持たなくてはいけない。今は、僕が『日本記録保持者だったのはあの日だけ』と思いながら、1人の陸上選手として以前と変わらない生活を送るよう心掛けています。
   

僕が一番怒られていました(笑)


―ここからは、東洋大学時代の思い出を振り返っていただきたいのですが、お2人の出会いと東洋大学に進学を決めた理由は?
   
酒井 「悠太と初めて会ったのは、私が東洋大学の監督に就任した年(2009年)でした。新入生の勧誘を行う過程で、前監督のときから双子の設楽兄弟がリストアップされていたんです。その時はまだ高校生だったので、今よりも体の線が細くて貧血で。それでも、走る能力やセンスはズバ抜けていたという印象でした。
   
設楽 「高校3年時のインターハイには、酒井監督がわざわざ奈良まで見に来てくださったんですが、予選落ちしてしまったことを覚えています。大学は、親と相談しながら、実家から近いことや双子の兄(設楽啓太選手、現・日立物流)と同じチームでやれること、競技に取り組む環境面などから東洋大学に決めました。」
   ―東洋大学時代、監督から見て設楽選手はどんな選手でしたか?
   
酒井 「一言で、マイペースに尽きますね(笑)。これは、兄の啓太もなんですが、常にどこか“ホワン”としていてせっかちな部分が全くない。陸上では、レースの前に召集があるんですが、こっちが焦るくらい、ギリギリまで来ないんですよ。何をするにも、靴紐を結ぶのですらも、ゆったり、ゆったり。早いのは、練習を上がる時くらいですかね(笑)。あんまり焦ったことないんじゃない?」
   
設楽 「そうですね(笑)。試合でも私生活でもほとんど焦ることはないです。たとえば、マラソンでは、序盤に飛ばし過ぎると30㎞以降の失速を心配する選手が多いと思うんですが、僕の場合そういうのも全くなくて。そもそも、レースプランをガチガチに固めてから走るのが好きではないし、その日の調子によって、行けそうだったら行く(攻める)という感じですね。」
   
酒井  「そういえば、1年生の時は練習がオフの日によく実家に帰っていたよね?」
   
設楽 「1年生の時は、寮にいればいろんな共同作業や当番の仕事をやらないといけないし、上下関係に厳しい先輩もいて、正直少し逃げたくなった時期もありました。酒井監督にも、褒められることより怒られることの方が多くて。学年で僕が一番怒られていましたよね(笑)。しかし、そんなマイペースな僕を温かく、そしてしっかりと指導していただいた分、競技の上でも人間的にも成長できたことが、学生時代の成績や今回の記録につながっているのだと思っています。 」  
   
酒井 「このマイペースさが、攻めの走りに繋がっているのかもしれませんね(笑)。」  
   

大学4年間があったからこそ今の自分がある

画像:寮に飾られた箱根駅伝優勝時のサイン入りポスター
 
―東洋大学の4年間で一番印象に残っている大会は何ですか?
  
設楽 「やはり最後の箱根駅伝(2014年・第90回大会)ですね。前の年は、日本体育大学に負けていたし、卒業後は兄弟で別々の実業団に行くことも決まっていたので、「勝って終わりたい」という特別な思いがありました。結果、兄弟で区間賞をとることができ、東洋大学としても総合優勝できたので、最高の思い出になっています。」
  
酒井 「悠太とは海外の遠征にも行きましたし、箱根駅伝も4年連続で走って、3回区間賞をとっています。たくさんの大会の中でも、とくに印象に残っているのは3年生のときの箱根駅伝(2013年・第89回大会)ですね。この年、悠太は怪我明け直後の上に、当日はひどい強風だったのですが、3区区間賞の活躍を見せてくれました。箱根駅伝に合わせて急ピッチで万全な状態に仕上げたあの時の集中力には目を見張るものがありましたね。
   
トラックレースでは、2013年のGGN(ゴールデンゲームズinのべおか)が、兄弟そろって10,000m 27分台を達成したレースとして印象深いです。指導者としては、今後も悠太たちのように27分台を出せる選手の育成を目指していきたいと思っています。」
        
―長年、設楽選手を見ている酒井監督ですが、どんなところに成長を感じますか?
   
酒井 「まずは……、マスコミの前で喋れるようになったよね(笑)。大学入学当初は、メディア取材にも慣れていなくて、なかなか言葉が出てこなかったけれど。」
  
設楽 「意識しているわけではないんですけれど、よく言われます(笑)。聞かれたことには素直に答えるようにしているだけなんですが。当時はしゃべるのが本当に下手だったんです。」
   
酒井 「あと、大学時代との大きな違いはやはり主体性ですね。大学時代は、言われるがままにこなしていた練習メニューも、今は、強くなるための練習を自分の考えで行っている。そこがすごく本人の成長につながっているなと思います。
   
設楽 「それは社会人になって一番意識しましたね。社会人は、学生と違って走れなくなったら終わりですから、そうならないためには言われたことをただやるだけでは全然足りない。強くなるための手段は人ぞれぞれだと思うので、自分にとって何が一番良いのかを考えた上で、スタッフとコミュニケーションを取りながら日々実行しています。今、結果が出せているのは、練習とレースがマッチしているおかげですね。とても自由な環境でやらせてもらって、チーム(Honda)には感謝しています。
   
酒井 「今の東洋大学陸上競技部の中にも「設楽さんみたいになりたい」という選手は多いんです。後輩は先輩の背中を見て育ちますので、先輩が目の前で日本記録を出すことほど影響力のあることはないですよね。東洋大学時代も、4年時には、副キャプテンとしてチームを率いてくれました。雄弁に語る方ではない分、いつも背中(走り)でみせてくれるんです。」
  ―では最後に、お2人にそれぞれメッセージをお願いします。
  
酒井 「これまでの悠太らしく、自分のペースでさらに強くなって欲しいですね。走力だけでなく、言葉や行動のすべてに影響力を持って、日本陸上界を次のステップに導く存在になって欲しい。国内のレースだけでなく、海外で勝てる“世界の設楽”になることを期待しています。
   
設楽 「ありがとうございます。僕は東洋大学に進学していなかったら、ここまで伸びていなかったと思います。酒井監督をはじめ、チームメイトや家族、たくさんのみなさんに支えていただいた最高の4年間があったからこそ、今の自分がある。だからこそ、恩返しとして酒井監督にはこれからもさらに強くなった自分を見せていきたいです。あとは、箱根駅伝!再び東洋大学優勝の瞬間を見せてください。」  
             

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