「夢を叶えたければ自分を大切に」松本清張賞作家・滝沢志郎が夢に向かう人に伝えたいこと

皆さんには、実現したい夢や目標はありますか?

夢や目標が大きければ大きいほど、実現までの道のりは長く、困難を伴います。
そのため、多くの人が道半ばで諦めてしまうのが現実。

夢を実現させた人は、一体どのようにして数々の苦難を乗り越えたのか、気になる方も多いのではないでしょうか。

今回は、「小説家になりたい」という小学生時代からの夢を叶えた、東洋大学文学部史学科OBの滝沢志郎さんにお話を伺いました。滝沢さんは、生計を立てるための仕事との両立や、3度に渡る最終選考での落選といった苦節を経て、2017年4月に『明治乙女物語』第24回松本清張賞を受賞。見事作家デビューを果たしました。

滝沢さんはどのようにして、夢を叶えていったのでしょうか。

担任に提出する日記に、物語を書いていた

画像:滝沢志郎さん

―滝沢さんが初めて小説家を志したのは、いつ頃だったのでしょうか。

「私が小説家になりたいと思ったのは、たしか小学生高学年の頃ですね。本を読むのが好きで、推理小説家の内田康夫さん(東洋大学出身)が書いた『浅見光彦シリーズ』を読むのに没頭していました。本を読むだけでなく自分でストーリーを作ることにも興味があって、担任の先生に提出する日記に、国語の教科書に載っている物語のパロディのような話を創作して書いていたのを覚えています。とにかく先生を笑わせたかったんですよね。」

―小学生の時点で、既に物語を書くことに楽しさを感じていたのですね。

「先生から反応がもらえるのが楽しかったんです。『君には文才がある!面白いからみんなに見せていいか』と言われ、クラスみんなの前で内容を朗読してくれました。みんな喜んで聞いてくれたのが嬉しかったし、そのとき『自分には文章を書く仕事が向いているのかな?』と思ったのを覚えています。」

―初めて本格的に小説を書いたのは、いつ頃なのでしょうか。

高校生のときです。アニメの『ルパン三世 カリオストロの城』に出てくるような、19世紀ヨーロッパの架空の国を舞台にした小説をノートに書きました。当時は頑張って書いたつもりでしたが、今になって改めて読んでみると恥ずかしい…。黒歴史として封印してあります(笑)。」

-その後、滝沢さんは東洋大学文学部史学科に進学されます。

「歴史が好きだったんです。大学生時代にもいくつか短編小説を書こうとしたのですが、書き終えるのがすごく大変で、1本も書ききれませんでした。たった2,3行の表現をするだけなのになかなか筆が進まないこともあり、小説を書くことの難しさを思い知りましたね。」

―大学卒業後は、どんな生活を送っていたのでしょうか。

「今考えるとすごく恥ずかしいのですが、当時私は就職活動をしなきゃいけないことを知らなくて、就職活動をしていなかったんですよ(笑)。だから卒業後は、大学時代からやっていた、クレジットカードの勧誘をするアルバイトを3年以上続けました。その後、他の仕事を1年ほどしてから、テクニカルライターとして働くことになったんです。これが初めての正社員でした。」

「生計を立てながら夢を追う」難しさ

画像:第24回松本清張賞受賞作『明治乙女物語』

大学卒業後、いくつかのアルバイトを経てテクニカルライターとして働き始めた滝沢さん。「生計を立てながら夢を追う」大変さはどれほどのものだったのでしょうか。

―テクニカルライターとは、具体的にどんな仕事をするのですか。

家電などの機器の取り扱い説明書を書く仕事です。私が働いていたのは業界では結構有名な会社で、Apple製品が初めて日本に上陸したときに、『はじめてのあっぷる』という説明書も手掛けていました。自分の頭では分かったつもりでいても、誰もが理解できるように伝えるのって、意外と難しいんです。」

―小説の執筆は、テクニカルライターの仕事の合間になさっていたのですか。

「いえ。ネタはずっと探していましたが、執筆する余裕はありませんでした。大学生時代にも痛感したことですが、書き慣れていないうちは、筆が進まなくてしんどいんです。書き始める人はたくさんいますが、そのほとんどが最後まで書ききることができずに挫折してしまうそうです。

なので、テクニカルライターになってから3年くらい経ちフリーランスになった頃、執筆期間として年に3ヶ月程度お休みをいただき、執筆に専念するようにしました。」

―やはり、収入を得ながら小説を書くことは容易ではありませんね。執筆をしている間は収入がなくなるわけですよね。金銭面の辛さはありませんでしたか。

「もちろんありました。生活を切り詰めなければならないという辛さに加えて、この期間に結果を出さなければならないというプレッシャーも出てきたので、かなり精神的にきつかったですね。結局無理がたたって体調を崩してしまい、一人暮らしをやめて実家に帰ることになりました。」

―相当過酷な日々を送っていらっしゃったのですね……。執筆は思うように進みましたか。

「私が好きな作家である、田中芳樹さんの所属事務所が主催する通信制の小説塾に参加したのが一つの転機になりました。締め切りがある中で執筆する環境が、私には合っていたようです。課題提出用に短編を書いて塾に送ると、『これは面白い!』とお褒めの言葉をいただき、特待生にしていただいたんです。」

―特待生ですか!自信になりますね。

「はい。嬉しくなって、その時ちょうど募集していた『小説宝石新人賞』に応募してみたら、最終選考まで残れたんです。夢を抱いた小学生高学年のときからそのときまでは、『いつか小説家になれたらいいな』という漠然とした気持ちでいたのですが、最終選考に残ったときに初めて『俺はプロになれるんじゃないか?』と思うようになりました。夢が目標に変わった瞬間でしたね。」

“辛さ”に直面し、「自分を大切にする」必要性に気づく

「“小説家になりたい”という夢が、手の届く目標に変わった」。滝沢さんは、デビューへの確かな手応えを感じていました。しかし、そこから大きな壁に当たることになります。

―その後に書かれた作品も、賞に応募されたわけですよね。結果はいかがでしたか。

「初めて最終選考に残った作品が『琉球王国』という珍しい歴史をテーマにしたものだったので、続けて同じテーマで書くことにしました。『小説宝石新人賞』に2度応募し、いずれも最終選考に残りました。つまり、3回連続で最終選考に残ったことになります。」

―それだけ何度も最終選考に残っていたということは、当時から滝沢さんの作品はかなり高い評価を受けていたのですね。

「ですが…いずれも受賞できなかった。4回目に応募したときに至っては、最終選考にすら選ばれなかったんです。」

―手が届きそうで届かない状況は、辛かったのではないでしょうか。

「そうですね。これだけいつもぎりぎりのところで落ちると、書店に並んでいる作品と自分の作品を比べてしまうんですよ。でも、正直、自分の小説が書店に並ぶそれと比べてどこが劣っているのか分からなかったんです。『なんでこんなにたくさんの作品が書店に並んでいるのに、自分の作品が並ばないんだ!』と何度思ったことか。とにかくそれが苦しかったですね。」

―その辛さをどのように克服したのですか。

「辛さを乗り越えることなんてできませんでした。結果が出なければ、辛いのは当たり前ですから。辛さとは、克服するものではなく、上手に付き合っていくようなものではないでしょうか。体調を崩して実家に帰ったとき、初めて自分を大切にする必要があることに気づきました。」

-夢を叶えるためには、ただ頑張るだけではだめだと。

「そうです。体が元気でなければ何もできないことがよく分かりました。当時私は、『今を逃しては一生デビューできない』という正念場に差し掛かっていたので、体を大切にしつつ、この2,3年にすべてを懸ける気持ちで小説を書くことにしました。」

鹿鳴館で踊る女生徒に心惹かれ、『明治乙女物語』を執筆

画像:第24回松本清張賞授賞式の様子

小説家としてデビューするために覚悟を決めた滝沢さん。その後、滝沢さんの運命を変えた受賞作『明治乙女物語』を執筆することになった経緯について伺いました。

―松本清張賞を受賞された『明治乙女物語』。本作品を書こうと思ったきっかけを教えてください。

「きっかけは、『ちよだ文学賞』に応募しようと思ったことです。賞の応募要項に、『千代田区にまつわる名所や歴史を題材にした作品を歓迎する』と書かれていたので、千代田区の歴史で面白いものはないか調べてみたんです。すると、国賓や外国の外交官を招く社交場として明治政府が作った鹿鳴館に、高等師範学校の女生徒たちが踊り手として招かれていたというエピソードを見つけました。」

―鹿鳴館が欧米の文化を受けて作られ、舞踏会が開かれていたことまでは教科書にも載っていますが、女生徒たちが招かれていたという事実は知らない方が多いでしょうね。

「当時は、『女性に高等教育は不要』という考え方が一般的でした。しかし、そんな世の中に屈することなく、学問を身につけ生きていこうとする女性たちの姿を描きたいと思ったんです。」

―執筆するときに、意識されたことは何かありますか。

読みやすさを徹底しました。時代小説はどうしても話が難しくなってしまい、読むのに抵抗を感じてしまう人が多い。だから私は、難解な言葉を極力避けながら、その時代が持つ世界観を伝えるよう心がけたんです。

作品を書くにあたっては、明治時代の知識が全くなかったので、大学受験用の歴史の参考書を読むところから始めました。筋道をまずしっかり理解した上で、咀嚼して分かりやすく伝える工程は、テクニカルライターの仕事に通ずる部分があるかもしれません。テクニカルライターにとっては、『分かりにくい』という言葉を言われるのが一番嫌なので、分かりやすく伝える点にはかなりこだわりました(笑)。」

―本作品は、どのような人に読んでもらいたいですか。

「これは自分の中でははっきりしていて、小説が好きな人だけでなく、普段あまり小説を読まない人にも読んでいただきたいです。小説が好きな人は、『司馬遼太郎さんが好き』というように、誰かしら好きな作家がいると思います。

私は、まだそういった好きな作家がいなくて、読書になじみがない層も開拓していきたい。私自身もそうなのですが、本を好きになるきっかけって、好きな作家ができることだと思うんです。最初に自分の作品を読んで小説を好きになってくれたら、これ以上の喜びはないです。」

夢を叶えたいなら、とにかく自分を大事にするべき

『明治乙女物語』は第24回松本清張賞を受賞。石田衣良氏や三浦しをん氏などのそうそうたる面々が揃う選考員から絶賛される作品となりました。受賞の心境と、今後の目標、そして夢を追う人に向けて伝えたいことを滝沢さんに伺いました。

―『明治乙女物語』が松本清張賞を受賞されたときの心境を聞かせてください。

「もちろん嬉しかったですし、ほっとした気持ちも大きかったです。母にメールで報告すると『おめでとう』と一言で返ってきたのですが、裏では泣いて喜んでくれていたようです。」

―他の周りの反応はいかがでしたか。

「今はフリーランスとしてテクニカルライターの仕事をしているのですが、仕事をくださる会社の方から『先生』と呼ばれるようになりました。松本清張賞の贈呈式にも皆さんで来ていただいて、ありがたい限りです。実は、受賞後の第一作目は取り扱い説明書なんです(笑)。」

―松本清張賞作家が取扱説明書を書かれているというのは、なんだか不思議ですね(笑)。今後はどのような作品を書いていきたいですか。

まだ書かれたことのない時代の物語を書きたいです。織田信長や新撰組、坂本龍馬といった、これまでにたくさん書かれてきたテーマを自分がやっても仕方ない。皆さんが知らなかったような時代や人物、出来事を作品にして、『こんな面白いものがあるよ』ということを伝えていきたい。私の作品を読んで、読者が歴史や小説に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。」

―最後に、他の仕事と両立させながら、自分の夢を叶えようとしている方に向けて、メッセージをいただきたいです。

『とにかく自分の体を大切にしてください』と伝えたいです。よく寝てよく食べることですね。体が資本です。私も一度体調を崩しましたが、体が元気でないと何もできなくなるので、叶う夢も叶わなくなってしまいます。

辛い気持ちになることはあるし、辛さは結果を残すことでしか克服できない。だから、辛さと共に寄り添いながら生きていくことも必要。だからこそ、とにかく自分を大切にして、1日1日夢に向けて打ち込んでいただきたいです。」

夢に向かう不断の努力と、自分への優しさのバランス

「小説家」という職業は、努力したからといって報われる世界ではありません。
どれだけ頑張ればデビューできるかも分からない暗闇を生き抜くためには、相当な覚悟と努力が必要です。

滝沢さんは夢を持ち続けて小説を書き続けたからこそ、松本清張賞という偉大な賞を受賞することができました。これは紛れもない事実です。

しかしその上で、夢を叶える過程で誰もが経験する辛さに潰されないようにするためには、自分に対する優しさを持つことも大事だということを滝沢さんは教えてくださいました。夢を叶えたいと考えている方は、夢に向かう努力と自分への優しさのバランスを見直してみてはいかがでしょうか。