44年ぶりオリンピック出場決定!歴史から紐解く、バスケットボール男子日本代表の軌跡

写真:加藤誠夫/アフロ

来夏の2020東京オリンピック・パラリンピックに向け、これから各競技のオリンピック予選が行われます。そこで今回注目するのが男子バスケットボール。女子は前回のリオデジャネイロ・オリンピックに出場(8位)しましたが、男子は40年以上、その舞台に立っていません。

しかし、2015年にプロリーグのBリーグが開幕すると、2018年秋には渡邉雄太選手(メンフィス・グリズリーズ)が日本人で2人目となるNBA選手になるなど、男子バスケットボールを取り巻く環境は大きく変わってきています。そして自国開催となる2020年東京オリンピックに向けて強化を続けてきたバスケットボール男子日本代表は、ついにオリンピック出場権を獲得しました。

東洋大学でスポーツの歴史を研究する傍ら、同大バスケットボール部女子部の監督を務める谷釜尋徳先生に、日本のバスケットボールの歴史やオリンピックでの戦いを振り返りながら、2020年夏への展望を聞きました。

桃のカゴがゴールだった!? バスケットボール事始め


▲東洋大学法学部法律学科 谷釜尋徳教授

――まずは、バスケットボールがどのように誕生したのか、教えてください。

「1891年にアメリカ合衆国のマサチューセッツ州にあるYMCAというトレーニングスクールで誕生しました。同校の体育教師、カナダ人のジェームス・ネイスミス氏が、冬に屋内運動場(体育館)で実施できるような体育教材として考案し、実践したのがはじまりです。当時は桃のかご(ピーチ・バスケット)をゴールに見立て、ボールはサッカーボールを用いたため、“バスケット・ボール”と呼ばれました。

そして1891年12月21日にYMCAでバスケット史上初となる試合が行われます。今でこそ両チーム合わせて10人で戦いますが、当時は人数が決まっていなかったため、授業出席者の18人を半分に分け、9対9で試合をしたそうです。


▲バスケットボールの原型を考案したジェームス・ネイスミス<左>(The New York Times/アフロ)

実はこの試合、18人の中に石川源三郎氏という日本からの留学生がいました。バスケット誕生の瞬間に日本人が立ち会っていたのです。

ただ、日本に最初に伝わったときは女子の競技として、成瀬仁蔵氏という教育者がアメリカの女子大学から持ち帰ったのですが、運動量を制限するなど女性に向けて配慮がなされたルールとして改良されたものでした。

成瀬仁蔵氏は1894年に梅花女学校の校長となり、女子学生に『球籠遊戯』を指導。さらに1901年には日本女子大学を設立し、第1回運動会にて独自に作った『日本式バスケットボール』を披露しました。保存されている運動会のプログラムには、日本式バスケットボールという演目が書かれています。

ネイスミス氏が考案したバスケットボール競技を最初に伝えたと言われているのは大森兵蔵氏。YMCAトレーニングスクールに留学後、1908年に東京神田のYMCAでバスケットボールを教えると、慶應義塾大学や日本女子大学にも指導に出向いたそうです。

1913年には文部省訓令第1号として『学校体操教授要目』が公布されますが(体育の授業で何を教えるかを記すもの)、その種目のひとつにバスケットボールが含まれました。これは体育の教材として認められたということです。さらに同年、アメリカ人のFH.ブラウン氏が来日し、日本国内の各地のYMCAで指導し、本場のバスケットボールが伝わったのです。」

――日本国内でバスケット競技は、どのように発展したのでしょうか。

「日本バスケットボール協会(JBA)の前身である大日本バスケットボール協会が1930年に設立され、国内の統括や海外との窓口など組織が整備されました。その後、オリンピックなどの国際大会に出場するとともに、国内でも人気スポーツとして定着します。

大きな転機は、1964年の東京オリンピック。このオリンピックの後、日本のバスケットボール界は、【競技力向上】と【底辺の拡充】という目標を掲げます。

1968年には『小学校学習指導要領』の改訂によって小学校の正課の体育授業でバスケットボールを教えることが可能になり、学校体育の中で大きくクローズアップされます。これを追い風として、小学生に適したルールに改良したのが今の“ミニバス”(ミニバスケットボール)です。ミニバスをきっかけに子どもたちの間でも急速にバスケットボールが普及。現在、国内のバスケットボール競技人口はサッカーに次ぐ2番目の規模ですが、サッカーは女子の競技人口が少ないのに対し、バスケットボールは男女ともに広く普及しているという特徴があります。」

バスケットボール日本代表の夜明け


▲1936年ベルリン・オリンピック。日本vsドイツ(『バスケットボールの歩み―日本バスケットボール協会50年史』より、日本バスケットボール協会、1981)

――過去のオリンピックでの男子日本代表の戦いぶりを教えてください。

「初出場はバスケットボール競技が正式種目となった1936年のベルリン・オリンピック。このときはトーナメント方式で日本は3回戦敗退でベスト8には入れませんでしたが、国際的に見て強い時代でした。その後、戦争による中断があり、オリンピック自体は1948年のロンドン大会から再開するものの、敗戦国の日本は招待されず。次のヘルシンキ・オリンピックで日本は復帰したものの、バスケットボールのチームは派遣されませんでした。

そして1956年のメルボルン・オリンピックでバスケットボールの日本代表が20年ぶりに出場しましたが、成績は14チーム中10位。3勝した相手はいずれも強化が進んでいないアジア諸国ばかりで、アメリカなどの強豪国には完敗でした。


▲1960年ローマ・オリンピック。日本vsアメリカ戦(『第十七回オリンピック大会報告書』より、日本体育協会、1962年)

4年後、ローマ・オリンピックでは欧米諸国に歯が立たず7戦全敗。16チーム中15位に沈みました。16位のブルガリアは途中棄権したので、事実上は日本が最下位だったと言えます。世界各国が日進月歩でレベルアップしていたのに比べ、日本は強化が停滞。戦争で20年近くオリンピックの舞台から遠ざかったことが影響し、世界との差が大きく開いてしまったのです。

ただ、1964年の東京オリンピックは、世界のトップレベルに急接近した時でした。前回大会の事実上、最下位という結果に、関係者の多くが外国人選手との身長差や体格差を敗因に挙げましたが、監督に就任した吉井四郎氏は試合を徹底的に分析し、敗因は身長差ではなく、選手の技術不足やシュート成功率の低さだということを導き出しました。


▲1964年東京オリンピック。日本対ポーランド(毎日新聞社/アフロ)

それまで日本は、体格が小さいためにボールを奪ったらとにかく速く攻める戦術が主流でしたが、吉井氏は焦って攻めることで起こるミスをなくすため、時間をかけた攻めなど独自のフォーメーションを考え、リングにより近い場所でシュートチャンスを作る攻撃に切り替えました。アメリカからトップクラスのコーチをアドバイザーに招き、海外遠征も多くこなすなど、世界を意識したチームづくりをはじめたのです。

そして、約3年間をほぼ同じメンバーで長期間活動したことも大きな強化の一つでした。選手は、大学や実業団などの所属チームよりも日本代表の活動を最優先する。当時では画期的な改革により、本当の意味でひとつのチームになっていきました。

吉井監督の下で戦った東京オリンピックでは、16チーム中10位の成績(4勝5敗)。イタリア、カナダ、ハンガリーなど欧米の強豪を打ち破り、前回大会とは見違えるような実力を発揮しました。ただ、このチーム強化の成功は日本バスケットボール界全体のレベルアップを意味するものではなく、特別に東京オリンピックで勝つための強化が成功したにすぎないという評価もあります。吉井氏も、『この時の日本代表が強くなっただけであって、日本バスケットボールのレベルが底上げされたわけではない』という趣旨の言葉を残しています。


▲1976年モントリオール・オリンピック。日本vsカナダ(『バスケットボールの歩み―日本バスケットボール協会50年史』より、日本バスケットボール協会、1981)

事実、東京オリンピック後は吉井氏が編み出した戦い方があまり継承されず、メキシコ・オリンピック(1968年)では出場権を逃し、1972年のミュンヘン・オリンピックでは2勝7敗の16チーム中14位。1976年のモントリオール・オリンピックでも6戦全敗で12チーム中11位という結果でした(12位のエジプトは途中棄権)。そして、モントリオールを最後に男子日本代表はオリンピックに出場できていません。

1992年のバルセロナ・オリンピックからはプロ選手の参加が認められ、各国ではNBA選手が出場。以降、アメリカ以外でもNBA選手を擁する国が増え、それまでのアマチュア最強決定戦としてのオリンピックと比べて、出場国のレベルや各大陸予選のレベルも上がっていきました。」

13年ぶりワールドカップ挑戦。そして2020年へ


▲FIBAバスケットボールワールドカップ2019 アジア地区予選最終戦。男子日本代表チームはカタールに96-48で完勝し、13年ぶりに本大会への出場権を獲得した(加藤誠夫/アフロ)

――日本では2015年にBリーグが発足。アメリカで活躍する若手選手もおり、国際的にも着実に力が付いてきていると感じられます。

「Bリーグが誕生し、エンターテインメント性に加えて、スピーディな展開に躍動感あふれるプレーなど、バスケットボールに備わっている特徴に惹かれ、多くの人が試合を見に行くようになりました。メディアの露出も増え、歓声を浴びながらプレーすることで選手のモチベーションも上がり、プレーの質も向上していると感じます。さらに、これからはBリーグを見た子どもたちがBリーガーを目指すようになれば好循環が生まれます。日本のサッカーがJリーグ発足をきっかけにステップアップしたように、バスケットボールもBリーグを追い風に躍進の時を迎えています。

また、2004年に日本人初のNBA選手となった田臥勇太選手の存在も大きかったと言えます。173cmと小柄な選手が世界最高峰リーグのコートに立ったことは大きな希望でした。その後、アメリカをはじめ海外に挑戦する日本人が急増。サッカーの奥寺康彦さんや三浦知良選手、野球の野茂英雄さんのように、バスケットボールも先人たちが海外挑戦の道を切り拓いたことで、渡邊雄太選手や八村塁選手(ゴンザガ大学/アメリカ)といった有能な選手たちの志も世界へと向いたわけです。」

――日本代表は、今夏のワールドカップ出場を13年ぶりに決めました。この活躍が評価され、バスケットボール日本代表は、44年ぶりにオリンピック出場権を獲得しました。

「そうですね。本当に嬉しいニュースです。渡邉選手や八村選手らはもちろん素晴らしいのですが、私は、国内でプレーしている選手たちの頑張りも、今の日本の躍進の原動力だと感じています。チームの強化に多くの時間がかけられ、選手たちはシーズンの合間に合宿をするなど、ハードスケジュールをこなしチームとしての完成度を高めてきました。日本は世界から遅れを取った時もありましたが、今、急速にトップレベルに近づいている。ワールドカップ、そして東京オリンピックでの活躍も期待しています。」

<プロフィール>

谷釜 尋徳(たにがま ひろのり)
東洋大学 法学部 法律学科 教授

博士(体育科学)。スポーツ史が専門。江戸のスポーツ史をはじめ、オリンピックや日本のバスケットボールの歴史も研究している。同大学バスケットボール部女子部監督、スポーツ史学会理事、日本バスケットボール学会理事、日本バスケットボール協会・指導者養成部会ワーキンググループ、スポーツ庁・大学スポーツ協会(UNIVAS)設立準備委員会作業部会(指導者研修)(2019年3月現在)。共著・編著に、『オリンピック・パラリンピックを哲学する―オリンピアン育成の実際から社会的課題まで―』(晃洋書房)、『バスケットボール競技史研究概論』(流通経済大学出版会)などがある。

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