INDEX

  1. 同郷で、大学でも同級生の桐生と大橋。
  2. 強い気持ちを持ち続けることで、ともに大きな壁を乗り越えた。

INTERVIEWEE


桐生祥秀(きりゅうよしひで)
1995年12月15日、滋賀県生まれ。東洋大学4年。洛南高3年の織田記念陸上男子100m予選で10秒01を記録し注目を浴びた。男子4×100mリレーでは’16年リオ五輪で銀、’17年ロンドン世界陸上で銅。


大橋悠依(おおはしゆい)
1995年10月18日、滋賀県生まれ。東洋大学4年。彦根市立東中3年時にジュニアオリンピック女子200m個人メドレーで優勝。今年11月のW杯400m個人メドレーでは自己ベストの4分27秒82で2位入賞を果たす。
 

桐生祥秀選手の過去のインタビュー記事をご覧になりたい方はこちら:「プレッシャーを克服するには。100mを9.98秒で走る桐生祥秀選手に聞く、本番で結果を出す方法

同郷で、大学でも同級生の桐生と大橋。

―お互いに滋賀県の彦根市の出身ということですが、地元はすぐ近くなんですか?
桐生「僕は(彦根市立)南中の出身です。」

大橋「私は東中の出身です。」

桐生「電車で1駅ぐらいの距離ですね。」
  
―それだけ近いと、お互いに噂が聞こえてきたりするものですか?
桐生「中学のころ水泳部に知り合いがいて、東中に速い女の子がいるとは聞いてました。」

大橋「中3の時に、全中で入賞した選手の市の表彰式があって、私はそこで初めて顔を知りました。陸上で一番取った人がいるんだ、って。覚えてないでしょう?(笑)」

桐生「全然覚えてない(笑)。表彰式があったことも思い出せない。」
  
―実際に知り合ったのは大学ですか?
桐生「多分……。」

大橋「いえ、そのあと高3の時に今度は滋賀県の表彰式でまた一緒になって、その式の時に初めて話をしました。『東洋大に行く』って言うから、『私も東洋やで!』って。」

桐生「思い出した。そこが初めてです(笑)。一緒に滋賀から東洋行く子がいるんだと。」

大橋「大学に入ってからは学部が違うんですが、同じ授業を受けることもあったので、時々話す機会があって。」

桐生「地元であった成人式も一緒で。」

大橋「連絡を取り合って、式のあとに写真を撮ったりしました。」
  

  
―東洋大学では桐生さんは土江寛裕コーチ、大橋さんは平井伯昌監督に指導を受けています。

桐生「土江コーチと僕との距離は、他の選手に比べるとかなり近い関係だったと思います。いろいろなことを隠さず言い合える。1年生の時には衝突することもありましたが、そこから徐々にお互いの距離感がわかるようになっていった気がします。いつもさまざまなアドバイスをくれるんですけれど、僕の性格を考えて、そのうちの何割かを聞いてくれればいい、それぐらいに思ってくれている気がします(笑)。」

大橋「平井先生は東洋大学水泳部の監督だけでなく、日本水泳連盟の競泳委員長や日本代表チームのヘッドコーチも務められているすごい方なんですが、練習時のプールサイドでは『今日は娘とこんな話をしたんだよね』とか、ご自身のこともたくさん話してくれますし、水泳以外のことも話しやすくて。相手の性格を考えながら、どういう言い方をしたらいいかを考えてくれているのを感じます。私はうまくのせられてしまうんですよね(笑)。やる気を出させるのが本当に上手だな、と思います。」

桐生「毎日どのぐらい泳いでるの?」

大橋「いつもは朝7時15分から9時45分までと、夕方5時から8時までとか。そっちはどのぐらい練習してる?」

桐生「1日に3時間ちょっとかな。午後に予定があるなら朝やったり、部のみんなと練習したいときは夕方4時からが集合練習だから、そこに合わせたり。この11月からはオフに入るから、3~4週間ぐらいは普通の大学生として遊んだりしてリフレッシュします(笑)。」
  
―何して遊ぶんですか?

大橋「ディズニーランドとか?」

桐生「行ったことない。」

大橋「ええ!? あんなに楽しいのに!」

桐生「ディズニーランドで何するの?」

大橋「みんなで写真撮ったり?」

桐生「写真、普段から全然撮らへん。」

大橋「じゃあアトラクションとかさ。」

桐生「ジェットコースター苦手。」

大橋「ええ~! 日本一速いのに。じゃあオフに何するの?」

桐生「ご飯食べに行ったりとか。あとは時計や服を見に行ったり。車も見たい。オフでしっかり休んでこそ、そのあとの冬季練習も頑張れるので(笑)。」
   

強い気持ちを持ち続けることで、ともに大きな壁を乗り越えた。

―大橋さんはオフを取れたんですか?
大橋「国体のあと2週間ぐらいもらったんですけど、結局3日に1回ぐらい泳いでました(笑)。数週間休むと、感覚が驚くほど変わるので。水を掻いてもスカスカに感じたり、逆に石みたいに重く感じたり。」

桐生「確かに、感覚はまったく別物になるね。僕はオフで一度緩めて、もう一度冬季練習で作り直す感じ。」
   
写真=杉山拓也(文藝春秋写真部)
   

―今年1年は、お2人にとって大きな壁を乗り越えた1年だったと思います。桐生選手は9秒台の壁、大橋選手は急成長を見せての世界水泳銀メダル。それぞれに壁を乗り越えた瞬間はどんな思いでしたか?   
桐生「ゴールした瞬間に優勝したのはわかったんですけど、9秒98というタイムまでは感触としてわからなくて。むしろゴール直後の会場の盛り上がりで、良いタイムが出てるんだろうなと思ったぐらいでした。 手応えはいつもとそれほど変わらなくて、ただ追い風1・0m以上で走ったのが久しぶりだったので(レース時は追い風1・8m)、久しぶりに気持ちよく追い風で走れたなとは思いました。あと大学最後の100mでしたし、ライバルたちに負けて、2位以下でレースを終えたくないという意地もあったので、勝てたことが嬉しかったです。」

大橋「世界水泳では、タッチした順番が3位までだと、スタート台の側面にランプが点灯するようになってるんです。1位なら1つ、2位なら2つ、3位なら3つ。去年のリオ五輪で、200mバタフライの坂井聖人選手が銀メダルを取った時に、眼が悪いので電光掲示板じゃなくランプで順位を確認したって話を聞いたんです。私それにすごくあこがれて(笑)。 それでランプを見ることしか考えてなくて、タッチしてすぐにランプを見たら『えっ、2つ点いてる!?』って。その驚きが第一印象でした。それで電光掲示板を見たら2分7秒91って出ていて。まさか7秒台が出るとは思ってなかったので、自分のレーンか何度も確認しました。 私も泳いでいる間はどのぐらいのタイムが出ているかははっきりとはわからなかったんですけど、自分が考えていた以上の力が発揮できたレースだったと思います。あの日は競泳の2日目で、他の選手がメダルを逃していたので、自分がメダルを獲って、日本チームに勢いをつけたいという思いもありました。」
   
―壁を越えるにあたってのプレッシャーはありませんでしたか?
桐生「どうしても日本人で一番に9秒台を出したいとは思っていました。これから僕やライバルたちが記録を更新していくと思いますけれど、日本人初の9秒台というインパクトはこの先、数十年経っても残ると思うので。プレッシャーは感じてなかったですけれど、誰よりも先に出したかった。勝負に負けたり、タイムが思うように出ない時も、その気持ちは持ち続けていました。」
  
大橋「私は今回、大学4年で初めてシニアの夏の日本代表に入りましたから、とにかく何もできないまま終わりたくはなかった。例えば準決勝で負けたりして、初めてだから緊張したのかな、日本選手権で記録を出して気が抜けたのかな、とか思われたくなくて。とにかく自分のことに集中して、絶対結果を出すぞという気持ちだけでしたから、プレッシャーとかはほとんど感じなかったです。
  
―東京五輪まで1000日を切りました。最後に3年後に向けて、いまどういう思いを持っているかを最後に聞かせてください。
桐生「もちろん出場して、そこで勝負をしたいと思っています。リオ五輪とロンドン世界陸上を経て感じましたが、やっぱりオリンピックは特別。反響もより大きいですし、それが自国開催となれば、すごいことになると思います。 いまはまだまだですが、東京では世界のファイナリストになれるタイムと強さを持って、決勝で戦いたい。1年ほど前から室伏広治さんと一緒に肉体改造のためのトレーニングを始めたんですが、他にもいろいろとやってみたい練習があるんです。新しい可能性を見つけながら、今はオリンピックに向けて練習するのが楽しみな状態ですね。」
 
大橋「今年の世界水泳では、同じ200m個人メドレーで金になったカティンカ・ホッスー選手が地元ハンガリーの出身で、会場が壊れそうなぐらいの声援を受けていました。競技のトップで活躍する選手がいることで、その国も盛り上がるというのを身をもって実感しましたから、3年後の東京では日本競泳チームもそうなりたいと話しています。 競泳はオリンピックでは通常、最初の方にある競技。リオ五輪では大学の先輩でもある萩野公介選手が400m個人メドレーで優勝して、日本人選手の金メダル第1号になりました。 東京五輪では私も同じように、競泳でよい流れをつくって、日本チーム全体にいい結果をもたらすような勢いをつけられたらと思っています。私はまだ一度もオリンピックに出たことがありませんが、しっかり準備して日本代表に入り、日本チーム全体を引っ張るような活躍ができる選手になりたいです。」
  

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